聞こえないことについて考えてみる
ここ最近、ずっと考えていることなのですが、なかなか上手く文章にできません。
法律や制度が整理され、またIT技術の発達で聴覚障害者もかつてに比べてだいぶ暮らしやすくなりました。テレビには字幕が付き、スマートフォンでリアルタイムでビデオチャットができたりLINEで手軽に連絡が取れたり、電話リレーサービスも徐々に普及しています。
が、やっぱり社会は「聞こえる人がほとんど」です。もし社会がろう者ばかりだったら・・・と考えるのは個人的にはナンセンスです。もちろん、そういう島や地域があるのは知っていますが、あくまで例外であって、やっぱり聞こえる人ばっかりの社会です。手話ができたってウメは聞こえる人間です。聞こえない人にとって不便が多いですし、まだ差別も残っていることでしょう。
で、ウメの場合は家族にろう者がいたので、聞こえない人がいる、ということは他の人よりは分かっているつもりです。もちろん、当事者の気持ちが分かる!なんてバカみたいなことをいううもりはありませんが、聞こえない人と生活するということで、自然に身についていることもありますし、何より抵抗感がありません。
一般の人は聞こえない人やろう者に会う機会ってそれほどないですよね。接客業をしている人や役所、病院勤めの人なら会う機会もあるかと思いますが、一緒に過ごしている、という人はそれほど多くないでしょう。そのために、「あ、声が通じない」「どうしよう?」と一瞬思ってしまうのは仕方のないことだと思います。
法律や制度で、またパンフレットなどで一生懸命「差別はいけません」「聞こえない人への配慮へ」ということも大事なのですが、ではいざその人が聞こえない人と対峙するときになった時にどうしたらよいか、聞こえない人といってもバリバリ手話の人もいれば、音声を話せる(聞こえない)人もいます。お互いにとってより良いコミュニケーションはなにか、「こうですよ」と教え込むのではなく、自分で考えてもらう機会を与える、または体験してもらう、ということがとても大事なんじゃないかと思うのです。
体験と簡単にいうな、と怒られそうですが、人って頭では分かっていても自分で咀嚼できていないととっさに判断して動くことができる、って難しいと思うんです。本当はそれができるのが当たり前の社会がいいんでしょうけど、残念ながらそうではありませんし、皆さん自分のことで精一杯(ウメも手話関係で精一杯で他の障害の理解は足りないと思います。また、障害の分野に限らずです、そもそも生活することでいっぱいいっぱいの人もたくさんいるでしょう)だと思いますので、そんな中でただ「聞こえない人のことを理解しろー」と言うだけではあまり効果がないのではないかなぁと。
じゃあどうすれば・・・やっぱり当事者や手話関係者が地道に努力するしかないんですよね。その努力の方法を今の時代に合わせてやるという工夫は必要だと思いますが、やっぱり動くしかないんですよね。ただ主張するだけでなく、「知らない」「分からない人」の視点に立って動く、このことを忘れてはいけないと思うんです。批判するだけでなく、まずなぜそうなっているのかを考える、そしてともに考える、そして動く、なんかスパッと解決できるわけではないのですが、こういう方法しかないのかな、と思います。今はネットやSNSでも情報発信できますしね、個人の体験を発信するのでも良いと思うんです。中には心ない対応をされることもあるかと思いますが、その対応もまた社会を変えていくうちの一つ、ひびしょうじんで頑張りましょう。
ウメもドタバタしているなかで、これまでつらつら考えてきた考えは根底に持ち続けているのですが、とりあえず日々の生活に追われております・・・。
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