宿泊拒否に思う
昨日、熱海市の施設が聴覚障害者の宿泊を拒否していた問題について、世間を賑わせていますね。なぜ今になって報道されたのか、はともかく、割と否定的な意見が多いなぁと思っています。それを「心ない」とは思わないのですが、常識の無い批判をしている人は大抵自分が反撃を食らわないところからだなぁと思います。
人ってそれぞれ考えがあって、「もし自分がその立場になったら」というのは口では簡単ですが、そうはいかないと思います。これだけ聞こえない人と関わっている自分ですら「聞こえなくなったら」とは思わないですし、聞こえない人の感情はわからないです。
じゃあ今回の問題を容認しているのか、というとそうではありません。あぁ、やっぱり聞こえないことに対して「知らない」ということがこれだけ誤解や恐れを生んでいるんだなぁ、というのと、もっと理解を広めていく必要があるんだなぁということです。それは法律や条例がゴールではなく、結局は個人の心の中の問題なのかな、と。
自分と違う人はわからないから、怖いのか、邪魔なのか、わからないですが、表面上はそうは言わなかったりそういう態度を取らなかったとしても、どこかで違和感を覚える人はまだ多いんだな、と。それはその人個人のせいでは無く、教育だったり、社会だったりで変えていかないといけないと改めて思います。
断ったところの気持ちもわからないでもないんです。ただ、そこから一歩踏み出そうとしなかった。何があったか細かいことは知りませんが、報道されている部分だけ見ても真実はわからないかもしれません。もしかしたら大阪地震や西日本豪雨のような大規模災害の後に報道されたのでこういう風潮になったのかもしれません。
特に安全面での批判が多かったのですが、そこまで施設に責任を求めないですし、自分のことは自分でできます。紙を配布しておくとか、情報さえ事前に提供してもらっていたら自分たちで動ける人です。それでも危ない!と思う人は…どう説明したらいいのか。
批判コメントが多かったYahoo!ニュースのコメントについてコメントをさせてもらうと下記の通り。
聴こえない事で事故があったらまた何故障害者の対応も出来ないのに泊めたと騒ぐんじゃないの?
→知らないことによる憶測ですよね。確かにそうやって騒ぐ障害者もいるかもしれませんが、騒ぐのは障害のない人も同じじゃないでしょうか。
(100人も泊めたら)宿泊施設も何か起きた時に責任をもとめられる
→障害者が泊まるときだけ何かが起きる想定はどこから?責任というのは「一人一人起こしてくれなかったら…」ということ。過去にそういう事例はあったのでしょうか。
不当な差別ではなく、正当な区別。
→じゃあ聞こえない人は団体で泊まれないの?区別ということはそういう施設を充実してくれるのか?ということ。聞こえない人は何も悪いことをしたわけじゃないし、普通に利用しただけです。
最近、健常者もそうだが、障害のある方もクレームが本当に多い。
→健常者は受け入れて障害者は泊まらせないのは変ですね。クレームが多いのはそうかもしれませんが、今の日本の問題なのかな、と思います。
介助者・通訳者(聞こえる人)を同伴させたらいい
→外国人には日本語が分かる人を…とはあまり言われないですね。聞こえる人と一緒でないと危ないと思うのはわからないでもないんですが…、例えば聞こえる人が酔っ払って泥酔していても…同じじゃないですかね。聞こえない人は子どもじゃないですから、自分で動けます。
権利を主張するなら、一定の責任は果たそうよ。
→責任とは何だろうか…。
なんで謝罪するかな?文句いった者勝ちみたいな風潮だね、最近は。
→市の施設だから、というのもありますが、それよりは、なんで泊まっちゃいけないかな、と。本人に何の非もないはずなんですけど。
だいたいこんな感じでしょうか。差別ではなく「区別」とう意見が多いですね。でもそれは「する」側の意見であり、「される」側になるとどうなるか、少し立ち止まって考えてみてほしいと思います。心配なのはよくわかるし、クレーム言われそう…というのも正直わかります。じゃあ結局障害者は自立できなくなってしまう。何故自分がそう思うのか?そうじゃないと言われたときに少し立ち止まって考えてみてほしいんです。
とはいえ、この時代、傲慢な障害者(団体)がいない、というわけでもなく、そこに不満を感じている人がいるのもわかります。お互い立場がわからないんだから、歩み寄りをして、譲歩していく(今回の件も「いきなり」ではなかったはずです)…うーん、なんかきれい事になってしまいますけど、悪い方というよりはこうしたらできるんじゃないか、と考えることをして欲しいなぁと思います。
いわゆる健常者だってできないこともたくさんありますし、障害者だから何でも優遇される必要はないと思っています。ウメだって定期通院しているので生命保険入れないですし(割と差別だと思ってる)、できないことや不便もあります。それが見えているか見えていないか、そのことについて知っているか知らないか、の違いだと思うんですよね。
長々と書きましたが、こんな感じのことを思いました。マスコミも半年以上前の話をなぜに今こうやって書いたのか…そこも気になります。
というわけで、まとまらないんですけど、思ったことをつらつらと書いてみました。聞こえない人や関係者も「差別だ!」「法律だから!」と怒る(それも重要)だけでなく、なんでこんな意見がでるのか、考えてみると幅が広がるかな…なんて悠長な事書いたら怒られるかも知れません。
でも「差別」(「区別」との違い)ってどう決まるんでしょうね。不思議です。
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