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2013年10月 3日 (木)

手話の語源のはなし

昨日、郵便局から事務所に戻っている時にふと考えました。

手話学習者って手話の語源を気にすることが多いけどそれはどうしてなんだろうか…。そしてそれはいけないことなんだろうか…と。

本屋さんで売っている手話辞典なんかには手話の語源(どうしてその動きや形をするのか、という意味)が説明されているものも多いですし、講習会では語源も教えていたりすることもありますし。自分たちもそれで「へぇ」って思うこともあります。

一方で、手話を「独立した言語」と考えている方々は「語源で教えるのはダメだ」という立場を取っています。青森産が有名な赤い果物で冬が旬なあれのことを、日本語で「りんご」、英語で「apple」とどうして表現するのか、をいちいち説明しない、というスタンスです(違ったらごめんなさいね)。

どっちが良いか悪いか、を言いたいわけじゃなく、個人的にこのブログにも何回か書いたかと思いますが、手話については「語源」が頼りになることが多いんじゃないか、と思う立場です。それはあくまで第二言語として学習する、新しい「言葉(単語)」を後から追加して覚えるからなのかもしれません。

音声言語と手話が違うところは「視覚言語」であること。それは手の動きやら顔の表情やら…というもので構成されていますが、考えてみると、(海外の手話のことはすいません、わかりませんが)、日本の手話については身振りから変化してできているものも多い、ということなんですよね。感覚論ですよ。例の「りんご」の手話も「リンゴをかじる動作」から来ている(他にもありますが)ように。

身振りから来ちゃダメとか、レベルの低い言語だ言いたい、と捉えないでくださいね。実感としてそう感じているだけで、良し悪しの問題ではありません。で、語源で覚えるな、というのは、そちらの方に意識が集中してしまい、言語としてスマートに学習できなくなる、というのもとてもわかります。そりゃ言葉を話すのにいちいち語源を考えていたら身に付けるのは大変なことですし。

なぜその表現で表されるようになったか…というのは、手話に限らずですが、言葉によって様々な背景がありますし、今でも新しい言葉が(自然か無理矢理かはともかく)作られています。大事なのはその言葉をどうやって受け止めて、きちんと学習し、自分のものとして使いこなすか、なんじゃないかな、と。

自然に学習するなら語源もいらないんですよ。きっとろう者当事者の方は(元々手話で育ってこられた方なら特に)そう感じると思います。自分たちが日本語で感じたように。別の言語で育ってきて(多くは日本語)、んでもって手話を勉強するようになった時に、語源が気になっちゃうのは。ある意味自然じゃないかなぁ…と感じるんです。今でも気になっちゃいますもん。それがダメなのかもしれませんが。

皆さんは、どうですか。

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