あっちこっちに行く通訳論
自分の話が二転三転しておりますが、つぶやきをどうぞ。
(以下Twitterより)
手話通訳は事前勉強が大事だというけれど、それよりも幅広い分野の知識→言葉を聞いて簡単に説明できるくらいの浅さで良いが、を知っている方が何かと良いと思う。詰め込みはあまり良い結果を生まない。
かといって、事前勉強をしなくても良いというわけではない。ただし、テストと違って予習したところだけでぜーんぶまかなえる”わけがない”、ということを頭にいれておかなければいけない。「知りません」では通訳ができない。
そーんなことを言ったって、知らないことを通訳しなければいけないときもある。そんなときは元々の知識からどこまで応用できるか、そして通訳しながら自分が情報を入手し、素早く”知る”ことが大事だと思う。結果ではなくその姿勢。
自分が苦手なのは、大会式典などで「挨拶原稿」がしっかり決まっていて、それを一字一句読む(表現する)通訳。そういうのも必要なのは重々承知しているが、テンポが上手くとれない。
時々読み取りの人で、原稿ばかりに目がいって、本人より思いっきり早くしゃべっている人がいるが、アレは通訳ではなく代読。論外。
時々思うが、そのまま音声で聞いても「よくわからん話」を通訳者が勝手に「わかりやすい話」に変えてしまうのはダメ。それはろう者のためにはなっていない。
意訳とはまた違う部分。話が二転三転したり、ポイントがなかったり、結論が落ちてたり、そういう話し方をするならその通りに訳す。もちろん、文法とか、ルールはその言葉に沿ったものにするのが基本。
ただ、日本語は文末を「…(察しろよおまえら)」ということが多いので、そこんところは「エイヤコラッ!」と文末を表現する。手話から日本語にするときはあえて濁す。
模擬でもなく、練習でもなく、やっぱり「本番」でないと通訳の経験は積めないと思う。そういう意味では今の手話学習者というのは不遇な位置にいるような気がする。情報保障として中途半端な通訳をしてはいけないのはそうなんだが、じゃあ通訳を育てる場はどうする?
あといやなのが「手話が分かる聞こえる人がたくさん居る→通訳ができる人がたくさんいる」ところで表現したり読み取りしたりする場面。余計に緊張しちゃうの。そんなことは言っていられないので淡々とやるのですが。
自分が目で聴くテレビで通訳している&自宅のWebカメラに向かって手話をしているから特殊かもしれないが、人前よりカメラの前の方が気楽かも。あーでも反応が楽しめないという寂しさもある。
講演や集会の読み取りをする時はだいたい要約筆記の方がいる。別に上下を言いたいわけではないが、ろう者が話す時は自分の読み取った声が要約筆記者にとっての入力情報になるので、気を遣うようにする。声にできなければ文字にもできない。だから手話通訳者がエラい!と言いたいわけでは決してない。
PC要約筆記の方の予習のすごさと、チームワークの良さは手話通訳者は絶対に見習うべきだと思う。そしてしっかり礼儀を尽くすべきだと思う。それができていない通訳者が多いこと。挨拶もしないで帰ったり。
あ、PCに限らずの話です。ごめんなさい。
« 尾上の松駅 | トップページ | 数字の羅列が面白いんです! »
「通訳あれこれ」カテゴリの記事
- 東通研の本「だって通訳者だもん」(2022.03.24)
- 「二足のわらじを履く」(2022.01.15)
- 教材になる番組・映像(2022.01.07)
- 手話通訳の試験対策(2021.09.08)
- 三重研修 その3(2021.08.23)
コメント