臨機応変力
個人的な考えなんですけど、手話通訳者に求められる力って「臨機応変力」が一番大事なんじゃないかと思います。手話の技術や知識は最低限として、同じケースは二度と無いといってもいい様々な手話通訳場面でどうやったらもっとも良い情報保障(手話通訳)ができるかを考え、動けること。それを発揮出来る実力を持っていることが必要なのではないかと。
事前準備も大事というのは良くある話で、事前に資料や原稿がもらえればそれはそれで良いですし、練習や打ち合わせ、ロールプレイも重要です。それをしないことにはより良い情報保障の環境を作り出すのは困難になります。ですが、全ての通訳場面でそれができるか…というよりも、ほとんどの手話通訳場面で満足にそれができる、ということはありません。
さらに、いざ通訳が始まって練習の通り、想像の通りにいくことなんてほとんどないと思います。そりゃそうですよね。そこでどうやって手話通訳するか、どう翻訳するか、どう立ち回るかが手話通訳者にとって一番大事なことだと思います。意味が分からない言葉が出てきた、話し手の手話が読み取れない、ハプニングが起きた…などなど。いくら準備をしても知識を持っていても、その場で常に起こる「変化」に対応できないと意味が無いと思います。
じゃあそれはどうやって訓練すれば良いのか…もしかしたらその辺りは「センス」とも関わってくるかも知れませんし、現場経験を踏まないと身につかない(踏んでても身についていない人はたくさんいるようですが)でしょうし、日ごろから生活の中でのアンテナ…というか、「どうやって物事が動いているか」に敏感であるほうが良いと思います。
最近は(少しずつですが)通訳制度が整っていて、かつてと違って資格がないと手話通訳の(本物の)現場で経験をすることができなくなりました。情報保障という意味では当然のことですが、ではそこまでに手話通訳の技術(手話だけで無くいろんな意味も含めて)をどうやって磨くか。いくら先輩がこうこうこうと話しても実感出来ないかも知れません、模擬通訳をしても本物の緊張感にはかないません。
手話通訳養成についてはいろんな問題があります。現在手話通訳を担っている人が高齢化していると言います。それは自分自身も実感しています。この点については手話通訳の専門性や職業としての確立、教育などなどいろいろな問題が関わってくるのでおいそれと「こうしたら解決」とは言えずにもどかしいところなのですが、何とかしないといけません。「手話通訳をやりたい」という人→「手話を勉強したい」(個人的には手話を勉強する人全てが通訳を目指さなくても良いですし、いわゆる運動をしなくても良いと思っています。それは個人の意思で強制されるものではないはずです。もちろん、そうであればうれしいですが)という人を増やさないとどうしようもありません。
話が少しそれました。いろんな現場で(大げさですが)「想定外」のことが起きるからこその情報保障ですし、手話通訳の楽しさ・醍醐味(と苦しみ)はそこにあると思っています。「その場に応じて臨機応変に」…言うのは簡単ですしごもっともなんですが、どうやったらそれが達成出来るか(達成というよりはより質を高められるか)を考えて行動していかなければいけないと思うのであります。他の仕事でもそうですよね。理論やマニュアル通りの仕事をしていても良いものは決してできません。
理想論も重要ですが、もっと現実を見てきっちりコミュニケーションの橋渡しができるよう、これからも精進したいと思います。
« 2012年もあと1か月 | トップページ | イルミネーション »
「通訳あれこれ」カテゴリの記事
- 東通研の本「だって通訳者だもん」(2022.03.24)
- 「二足のわらじを履く」(2022.01.15)
- 教材になる番組・映像(2022.01.07)
- 手話通訳の試験対策(2021.09.08)
- 三重研修 その3(2021.08.23)
そうそう、「平常心」もとても大事ですよね。自分の実力をきちんと安定して発揮できる、っていう意味で。ある程度の緊張があったほうが良い、という場面も多いんですけどね~。
投稿: ウメ | 2012年12月 5日 (水) 21時02分
ほんまに!そう思う。でも実際はなかなか、、、汗
まだまだ修行が足りませんわ、今年はそんなに緊張しなかったんだけど、、、
投稿: K内 | 2012年12月 2日 (日) 20時17分