「すみません」はおかしくない
よく「店員さんを呼び止めるとき」や「誰かにお礼を言うとき」に「すみません」と言うことがあります。本来であれば「すみません」はごめんなさいというお詫びの意味で使う言葉なのですが、最近では先の2つの意味も辞書に載るようになってきました。
これをそのまま英語や手話に言葉だけ変えて表すと通じなかったり、???になる、というのは言葉を学ぶときの鉄板というものですが、果たしてじゃあ「すみません」自体がおかしいのか。
今朝ある人がキオスクの店員さんを呼び止めるときに「すみません」を使っていました。別に何とも思いませんでした。ある物をもらった時に「すみません」と言いました。やっぱりおかしくありません。
細かく言えば「(仕事を止めてしまって)すみません」「(ありがとう。気を遣ってもらって)すみません」ということになりそうな感じです。別に悪いことをしているわけではないのですが、こういうのが日本人の良いところだなぁって思います。良き日本文化というか、日本語文化というか。
「すみません」が通じるならいいんです。某国のように謝罪と賠償ばかり要求したり、法を無視して侵略しようとしたり…メリケンさんは事故があっても「謝罪」は口にしない(裁判で弱くなる)、他の国ビジネスでも「すみません」が通じない…某国はともかく、「すみません」が通じないことを悪いと言いたいわけじゃないのですが、これでうまく人間関係をやってきた日本ってすごいなぁって思うんです。
最近ではマナーが悪い…というか、常識の概念が不思議な人が増えてきているように感じます。どうしてか?教育のせい?経済状況のせい?時代?…いろんな理由がありますが、「自分とその周りだけ良ければ良い」というのをはっきり出す人が多くなってきましたね。ただ、それは誰もが持っている感情なので、問題はその周り・社会とどう関わっていくか。「すみません」という心を持ち続けられるか…が大事なんだなぁと思います。
かくいう自分も、最近では結構言いたいことはバンバン言うようになってきました。20代前半の頃よりはえらい厚かましくなったなぁと実感しています。でもね、時に言わないと分かってもらえないこともありますし、言いたくなるときは(他の人に不快感を与えない範囲で)言っちゃえばいいかなって…「すみません」の心をつけて、ね。
それは言葉や文化が違っても、人間関係を構築する上では同じだなぁ…とつくづく思います。
「勉強します!」カテゴリの記事
- 勤労感謝の日(2018.11.23)
- コインランドリー(2018.07.15)
- Googleドキュメントで音声入力→文字起こし(2018.07.20)
- 埼玉の地図(2017.07.11)
- えいごのべんきょう(2017.06.13)
コメント