異論は認めない?
ネット上のスラングとして用いられる「異論は認めない」という言葉。意味は文字通りなのですが、そこに少し追加で意味が加わっています。画像投稿サイト「pixiv」に説明がありましたので紹介します。
異論が出そうな事に対して、前もって相手の反論を封じる為のネットスラングである。
が、相手がそれに従うかどうかについては、それぞれのケースバイケースである。作り手による「ツッコミ(異論)入れろ」というシグナルと読み取れるかどうかはそれぞれにかかっている。もちろんpixivにおいてコメント欄で異論を書くのは自由であり、作り手の意に反してあえて異論を入れる(または入れない)というのも反応の一つと言える。 反対に誰もが納得するような事象にはつくことは少ない。 類義語として「~ですが、何か?」がある。
難しいですね。「認めない」とはっきり言っているように見えてそうではなかったりすることもあります。このあたりは「空気を読め」ということでしょうか。
さて、これを現実世界でやるとどうでしょうか。「〇〇についてこう思う!」(異論は認めない)。言葉にしてはっきり言うケースはほとんどないかと思いますが、時として討論をしているとき、主張をしているとき、相手と意見が合わないとき…こんな態度を取ったりしていませんか。さて、これをお互いがやったらどうなるでしょうか?
なーんにも進みませんね。この「認める」ということと、「受け入れる」ということは同義ではないと思います。「そういう考えもある」という「理解をすること」が重要であって、「そうそう」と同調する必要まではない、ということです。その上で反対ならそれはそれで良いのです。
が、特にろう者や手話の業界にいるとこの「異論は認めない」という雰囲気に押されることがしばしば。みんなで一致団結して運動を!…それはとても大事なことですが、「こうでなければならない!」と言い始めるとどうでしょうか?もやっとしたものを感じませんか?一種の全体主義的なものを感じませんか?ここで「全体主義」の解説。
個人は全体を構成する部分であるとし,個人の一切の活動は,全体の成長・発展のために行われなければならないという思想または体制。国家・民族を優先し,個人の自由・権利は無視される。(大辞林より)
度合いはさまざまあるにせよ、あれ、って思うこと、ありませんか?
それではいけないんだと思うのです。金子みすゞさんも「みんなちがって みんないい」と言っています。違いがあって当然なのです。それがたまたま大まかな意見や目的が一緒な人たちが集まって、団体になり、組織になるんです。「人」がいなければ集まれません。組織にいる以上、一定のルール作りは必要ですし、ある程度個人の自由がなくなってしまうこともあります。しかし、その色が強くなってしまったら…。
「ある程度異論は認めます」くらいがいいですね。
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