情報の価値
手話通訳など、「情報保障」に関わる仕事をしていると「情報」の意味について考えさせられる機会がよくあります。その観点や考え方の角度は様々ですが、結局は「情報は大事」ということ。
「情報の価値」とは、空気のように「当たり前」と考えられてしまうことも多いですが、実は欠けて初めて気がつくものだということを、しっかりと念頭に置いて活動しなければいけないと思います。
…って当たり前のことを何でいまさら書く気になったのか…よくわかりませんが、書いてみました。
先日、京都から神戸に帰る時に乗った電車で、車内の案内表示が「次は 京都」のまま動かなくて、どうやら壊れている様子。車掌さんが「ただ今、車内の表示が誤った表示をしておりますことをお詫びいたします」とアナウンス。
多くの聞こえる乗客は特に電車自体が遅れているわけでもないので、そんなことは別に気にしません。聞こえない乗客でも、普段から乗っている(情報がある)人なら「壊れているんだな」という想像ができます。
仮に、聞こえない人が初めて乗った電車で、「次は 京都」の誤った情報のみで信じて行動をしたら…表示の機械が壊れることまでを否定はしませんが、こういうちょっとしたところでの情報の欠損が、社会で生活するなかでの不便さを感じる原因になっているんだな、と思います。
あんまり良い例えじゃないですね。
情報を橋渡しする通訳者は、よっぽどのことが無い限り恣意的(わざと)に情報を遮断することはあってはいけないと思います。いわば当然のことなのですが、時々そうでない状況や人を見かけます。
そんなときどうすれば良いか。
よっぽどな時かもしれません。また、恣意的じゃない場合もたくさんあります。
どれだけ太いストローになれるか、しかも折り曲げられるストローになれるか、に気をつけて、活動していきたいと思います。
なんでストローの話になっちゃったんでしょうね。
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