それは映さなくても
韓国の釜山にある射撃場で爆発火災が起きて、長崎の対馬から旅行に来ていた日本人が巻き込まれたという非常に痛ましい事件が起こってしまいました。現場の消防対策の不十分さなどが指摘されていますが、事故が起きる度にこういうことが報道されています。結局、何かあってからでないと対策を取ることができないのか、もっと厳しくしても意味がないのか…と思ってしまいます。
そしてこの事故の報道を見ていて気になることがあるんです。現地に向かう家族に向けて一生懸命撮影をしているマスコミ。家族の方はどんな気持ちで現地に向かっているのでしょう。そんな彼らを見ると悲痛な気持ちになりますが、多くのカメラやマイクが向けられていました。私たちはそこまでの知る権利をもっているのでしょうか…。
また、重傷を負った方が病院でインタビューに答えていましたね。「医師の許可を得て」「本人の許可を得て」とテロップには挿入されていましたが、そうだったとしても、そっとしておいてあげるべきなんじゃないかと思います。大けがを負った人にまで取材してまでつたえなければいけないことなんでしょうか…。
すごく気になるんですよね。現地の様子ならケガが軽かった人に聞くとか、他にも方法があるはずです。仲間が亡くなっているかもしれない、自分もどうなるかわからない、そんなときに事故の様子を思い出させるインタビュー、首をかしげてしまいました。
先日逮捕された市橋達也容疑者の送検の時も、車にカメラマンが群がって窓越しに無理矢理撮影をしているところが映り、「醜い」と思ってしまいました。彼らは必死なんでしょうけどね…。でも日ごろマスコミから情報を得ている私たち、どういう情報が有益で、どれが無益か、全て受け入れるだけではなく、判断をしていかなければいけないと思います。
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