→聞こえない→
聞こえる・・・聞こえる人にとっては当たり前
聞こえる→聞こえない・・・マイナスと感じてしまう
最初から聞こえない・・・それはマイナスではない、当たり前
では、聞こえない→聞こえるはどうだろうか?
つい先日、自己で失明をした人が何とか子どもの姿を見たいと生死のかかった大手術をして
電極を埋め込んだ最新技術を使って、視力を回復させようとする映像を見た。
頭に埋め込まれたプラグからケーブルをだして、抱えた機械に接続している人の姿は正直異様だった。
結局視力は回復せず、子どもの姿は2つの点でしか見られなかったという。
聞こえない人の場合は?
そこまでして子どもの声を聴きたい人がいるか?
(聞こえていた→)聞こえない→聞こえる
(聞こえない→)聞こえない→聞こえる
この2つでも異なってくると思う。
先天性のろう者にとって子どもの声は「手」であり、それは見えるもの。
中途失聴者にとっては「声」の存在は大きいだろう。
いずれの場合も聞こえているウメの邪推でしかないわけだが。
いつか、いつか、万が一と書いた方がいいだろうか、医療や技術が発達して
完全に「聞こえない→聞こえる」ができるようになるかもしれない。
全ての人が聞こえるようになったら・・・なんてことは考えてはいけないのかもしれない。
それとも考えた方がいいかもしれない。
こんなことを考えること自体聞こえない人のことを差別しているのかもしれない。
素人の一つ覚えでも「聞こえない」ことはひとくくりには出来ない問題だ。
この問題を新聞を通して社会に広めていくのがウメの役目。
その荷は重い。でもやりがいはある。
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