手話について改めて考える1
手話には「日本手話」と「日本語対応手話」の2つがある。という話、ここ最近では手話学習者の中ではだいぶ知られてきた。かくいうウメも大学の手話サークル時代に教わった。しかし、頭ではわかっていたつもりでも、あの頃は知識としてだけで存在しており、実際にどういうものか、どういう問題をはらんでいるかを考えたことがなかった。
大学のサークル時代にろう者の学生に「日本手話に近い手話をするね」と言われたことがある。その時は、「ふーん。」で終わらせてしまっていたような気がする。確かに、ろう者の学生と(だけ)話すときに声をつけることはその頃から無かった。
大学を卒業し、某家電量販店に就職。いわゆる手話の世界からはいったん離れたが、その時初めて生の手話に触れた気がする。お店にやってくるろう者のお客さんの手話だ。サークルで学んでいた手話とは明らかに違う。それでも「手話が出来ます」なんて名札をつけているもんだから、ウメを頼りにしてやってきてくれる。
考えさせられた。それは手話が通じなかったからではない。
電気屋に通訳を連れて行くなんて難しい。申請して、通訳者決定を待って、打ち合わせをして・・・ウメだったら絶対にムリ。行きたいと思った時に行けない、ろう者が感じるバリアはまだまだ高い壁になっているだろう。そんなときに店に(一応)手話が出来る店員がいるのだ。
お客さんが喜んで帰って、また来てくれて、頼りにしてくれることの喜びは今でも忘れない。しかし、それはウメが「電気屋の店員だったから」だからなのである。おそらく通じたとはいえウメの手話は今よりもずっとつたないものだっただろう。一生懸命に読み取ってくれていたのだろう。
そんなことを考えながら、次第に手話の世界に本格的に飛び込むことを考えた。ウメにとっても手話で話すことで本当の自分を出せるような気がする。その時には2つの手話の違いは漠然としたものでしかなかった。
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