聞こえないのは見えない
改めて思う。
聞こえないという障害は理解されにくいということ。町で歩いていても白じょうをついて歩いているわけでもなければ、車いすに乗っているわけでもない。一見普通(普通と言ってはいけないのだろうが。)に見える。
私たちは手話を学んでいるので、多少の理解はあるつもりだ。しかし大多数のそうでない人にとって、聞こえないことがどんなことか、想像をすることすら難しいだろう。でも、それはある意味仕方のないことだと思う。「聞こえない」ことがどういう事かをわかってもらうのは無理なのかもしれない。ウメだってわかったつもりになっているだけで全然わかっていないかもしれない。
見えない障害。でもそれを見えるようにするのではなく、見つけるような目を持っていたいと思う。
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>聴こえなくてもちゃんと見てない!
これはウメの弟も同じような気がします。なんだかウメと同じで落ち着きが無くてキョロキョロしています。
あ、こうやって見ているのかもしれませんね。
声が出る人なんかはなかなか信じてもらえない
という面もありますよね。
補聴器をかけていれば分かりそうですけど、
それでもなかなか。
手話もやっと広まってきましたけど、
まだ好奇の目で見られることもありますしね…。
投稿: ウメ | 2006年2月 9日 (木) 08時49分
聴こえなくてもちゃんと見てない!とおじょうひん。によく言われてます。
あ、ちがう話ですね。聴こえないから理解されにくいというのは確かです。
聴こえなくて話せる人は余計に理解されにくいですね。中途失調とか難聴とか。声なしで手話すれはまだいいのかな?
投稿: 姫 | 2006年2月 9日 (木) 02時31分