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カテゴリー「手話」の記事

2019年9月26日 (木)

手話ができなくなる夢を見た

最初にお断りしておきますが夢の話です。

別にストレスがあるとかそういうのではない(実際は感じていないだけなのかもしれません)のですが、ある日、突然手話が全くできなくなる夢を見ました。場面は手話通訳の研修。聞き取りの研修だったのですが、講師が順番に日本語の音声文章を流して通訳をさせる。ウメはたくさんいる受講生の1人。

前の人とかがあんまり上手くできなくて、ウメが「ダメだなぁ~」と心の中でダメ出しをしていたら、先生から「じゃあウメさん、やってみてください」と順番が回ってくるわけですよ。それで、「よーし」と思って手話をしようと思ったら…。

全然手が動かない。というか手話ができないんです。

で、先生に「どうしたんですか?早く!できないんですか?…」と言われているところで目が覚めました…。

かなり目覚めの悪い夢…。

実生活でも手話についてはできる時とできない時(調子がいい時と悪い時と言った方が良いですね)はあるのですが、全くできなくなることはなかったので、なんだか悪い前兆じゃなければいいんですけど、かなり焦りました。

急に手話が全くできなくなる、なんてことは実生活ではない(病気とかは別ですよ)とは思うのですが、今のウメの生活で手話ができなくなると仕事でも困りますし、弟とも話しにくくなりますし(話せなくなるわけではないのがミソ)生活は激変するでしょう。改めて考えるとウメの生活、人生の中に手話というものが深く関わっているんだなぁと思ったわけなんです。

それと同時に、手話の技術の研鑽は続けなくてはいけないですし、無理はしないで、かつ手話の魅力を広めてもっと多くに人に手話に触れてもらうことをし続けないといけないなぁと改めて思いました。そして自分自身、もっと技術を上げて信頼される手話通訳になりたい、いろんな現場に行きたい(仕事もあってあまり登録では動けていませんが)と思った次第でございます。

あぁ、夢で良かった。

2019年9月10日 (火)

「運転間隔の調整」の手話通訳

東京の地下鉄や私鉄に乗っていると良くある放送。遅れている訳でもないのに電車が駅でしばらく止まる時に放送が入ります。

「ただいま、運転間隔の調整を行っているのでしばらく停車します」

東京メトロ:運転間隔の調整について

分かりやすいのはこちらのページでしょうか。
「後続列車の遅れ」でなぜ「しばらく停車します」? 時間調整するもっともな理由

鉄道「運転間隔の調整」の意味。迷惑・うざい?隠語?遅延が原因。東京メトロ地下鉄・山手線など
(上のページから引用します)

電車は普段、ダイヤ通りに一定間隔で走っています。
ある電車が何らかの事情で遅れると・・
遅れの理由はたとえば、
・乗客が多くて乗り降りに時間がかかってしまった
・車内で問題(汚れがあって清掃とか、車内通報ボタンが押された等)が起こって対応した
・忘れ物を捜索した(東京メトロではたまにあるようです)
等かなと。
遅れた電車に混雑が集中してしまいます。
その理由はわかりますよね。
遅れて駅に到着するということは、遅れた時間分だけ駅で待つ人の数が増えてしまい
その人たちが全員乗ろうとするからです。
電車は普通の状態よりもかなり混雑し、さらに乗り降りに時間がかかって
もっとその電車は遅れてしまいます。
なので、その遅れている電車の前を走っている電車で
「運転間隔の調整」「運行間隔の調整」を行います。
具体的には、前の電車をしばらくとめておくということです。
そうすることで、その駅でそのあと来る人たちも前の電車にのせることができるため
遅れている後ろの電車を待つ人が減ります。
それで・・
遅れている電車がさらに混雑して、さらに遅れてしまう
という状態を防ぐわけです。

という感じです。
良く乗っている人なら慣れっこだと思うのですが、実はどういう理由かが分かっていないという人も結構多いと思うのです。「なんだかよく分からないけどしばらく止まるんだな、だいたい数分かな」という感じでしょうか。

そんなときに一応手話通訳の端くれのウメとしてはじゃあ「ただいま、運転間隔の調整を行っております。しばらくお待ちください」という放送(車掌さんだったり自動放送だったり)というのは聞こえない人に伝わらないんだよなぁ…そしてこれを手話にした時にただ日本語のまま//今/運転/間隔/調整/する/待って/下さい/では伝わらないだろうなぁと思うんです。

かといって、理由を知っている場合は補足をするべきか、している時間があるのか、言ってもいないことをやるべきか…通訳として迷う表現だなぁと感じたわけです。「後ろを走る電車が遅れているので混雑が集中しないように運転間隔の調整をしますのでこの電車は数分待ちます」とまで話してくれればいいんですけど、ほとんどは「運転間隔の調整です」だけなので…。

ろう者が音声で情報を得られない「運転間隔の調整」の実態(というはそれが何か)を知らない場合、どこまで通訳をするか、補足をするべきかしないべきか…これは正にケースバイケースだと思うんですけど、ろう者もある程度勉強をしないといけないと思いますし、じゃあ知らないことを責めるわけにもいかない…今回は電車の例ですけど通訳中にこういうことは本当にたくさんあると思います。

文化の違い、というよりはそもそもの持っている情報量・情報手段の差による知識の差。これをどれだけ踏まえるべきか…言語通訳に特化するなら補足はすべきでは無いのでしょうが、現場に出ている人なら「それだけではいけない」というのが分かるかと思います。で、結局どうすればいいのか結論は出ないんですけどね。通訳者自身が「運転間隔の調整」が何かを知らなければそれ以上の通訳はできないわけですし…。

(手話に限りませんけど)通訳って奥が深い。まだまだひびしょうじんです。

2019年7月 6日 (土)

手話マークキーホルダー

Shuwamaku

皆さんは「手話マーク」、ご存じですか?「筆談マーク」とともに全日本ろうあ連盟が2016年に策定したマークです。

「手話マーク」
国外への普及も考え、5本指で「手話」を表す形を採用し、輪っかで手の動きを表現しました。
【対象】ろう者等、手話を必要としている人
【意味】
 ろう者等から提示:
    「手話で対応をお願いします」
 窓口等で掲示:
    「手話で対応します」
    「手話でコミュニケーションできる人がいます」等

「筆談マーク」
相互に紙に書くことによるコミュニケーションを表現しました。
【対象者】筆談を必要としている人
(ろう者等、音声言語障害者、知的障害者、外国人なども含みます。)
【意味】
 当事者から:「筆談で対応をお願いします」
 窓口等で :「筆談で対応します」

という感じで使います。確か発表された時に「青色が…」とぼそっと言ったような気がするのですが…まぁその辺はスルーして下さい汗。

で、このマークをキーホルダーにしたものが上の写真です。確か全日本ろうあ連盟の青年部が発売しているかと思うのですが、公式Webサイトで見つけられませんでしたm(_ _)m

ウメは手話通訳の端くれですので、通勤リュックのファスナーのところに付けて地味に宣伝します。

2019年6月26日 (水)

手話に関する1年前のつぶやきまとめに反応された

1年ほど前にTwitterで手話についていろいろつぶやいたまとめをこのブログに掲載しました。

手話に関するつぶやき 抜粋まとめ(前編)

手話に関するつぶやき 抜粋まとめ(後編)

自分もずーっとTwitterに張り付いている分けじゃないんですけど、たまたま自分のタイムラインを確認していたらこの記事を引っ張りだして「こういう人がいると研究が進まない」とか「なぞ」と言われておりました。

別にどう言われても構わないんです。考えは自由ですからね。で、試しにその方にリプライしてみたんですけど、無視されました。まぁそれもいいんですけど、せっかく意見を聞こうかと思ったんですけどただ晒して批判する材料にしたかっただけなのだろうか…と思ってしまいました。追い詰めるつもりもないですが、まぁ良い気分はしないですよねぇ。

基本的に「手指日本語」にひっかかっているようです。ウメは「手指日本語」という呼び方には反対です。どういう研究をされているのかしりませんが(こう言う事を書くと分かろうともしないヤツ、とレッテルを貼られるのですが)現場・実態を見ていない研究なんだと思います。別に「手話はひとつ」と声高にいう気はありませんが、2つに分けようとするのには無理がある、と言いたいだけなのです。

実際にいろんな手話があるわけで、それをしっかり調査して研究してくれれば納得するのに、両極端だけ取り上げてどうのこうの…まぁそれがとっかかりになるのかもしれませんが、なんだろう、それしかしてないような気がして…。グレーという言い方でまとめるのは良くないのですが、日本語や聞こえる人の社会に影響を受けている日本の手話への研究、というのをもう少し考えてほしいなぁとただの手話通訳の端くれは思うわけですよ。

自分は手話が第一言語ではありませんので、ごちゃごちゃ言う権利はないのかもしれませんが、手話に関わる者として、言いたいことがあれば発信するつもりです。あと、「聴者」という言葉は嫌いです。改めて。

2019年6月18日 (火)

「手話」の本棚

池袋にある大型書店に行く用事があったので、手話・聴覚障害関係でどんな本が置いてあるのか見てみました。ちなみに「医学」→「障害者福祉」のカテゴリーにございました…。

Junkudo1
Junkudo2

こんな感じでございます。さすが都内の大型書店。結構な品揃えでございます。「学習辞典」シリーズ、「新・日本語-手話辞典」も在庫として置いてありました!が、ウメイチオシの本が置いてない…ぐすん…まぁそれはいいとして、いろんなところから出ている本が万遍なく置いてある印象です。

やっぱり聞こえる人が初めて手話に興味を持って学ぼうと思ったらインターネットか本になりますよね。そういう初心者向けの本が目立つように置いてあります。本から入ること自体は否定しませんが、本に載っている手話が全てじゃないですからね。本を読んで興味を持ったら次はその手話を使っている人=ろう者と会って話してみましょう。何ごとも実践でございます。

ちなみに手話には2つあって…と書いてある系の本は…個人的には避けた方が良いと思います。個人的には…。

2019年5月13日 (月)

JNNニュースに手話

少し前の話になりますが、4月からTBSのストレートニュース「JNNニュース」に手話通訳がつきました。

Wikipediaにも早速紹介されています。
土曜日 6:15 - 6:30
日曜日 6:45 - 7:00
2019年4月6日放送分から、週末朝の全国ニュース枠に『東京手話通訳等派遣センター』の協力による手話通訳放送が実施される。

民放のニュース番組で手話付きといえば、日テレの日曜朝6:15からの「NNNニュースサンデー」が有名(愛の小鳩事業団→今は違う名前)ですが、TBSさん、急に始めましたよ。こういうストレートニュースには手話通訳が付けやすいのでしょうか。でもありがたいことですよね。

本当は全てのニュースに手話通訳を付けて欲しい…っていうか、NHKさんのニュース7とかニュース9とか、あって良いと思うんですけど、なかなか日本では「手話通訳が画面に映る」機会が多くないのが残念です。こっそり映りたい(自己満足ではなくお役に立ちたいという意味)と思っている人間として、手話通訳が多くの人に見てもらえる(啓発の意味も込めて)機会が増えることを願っています。そしてその現場に行きたい!(こういう思考の手話通訳は珍しいそうな)。

もちろん、他の通訳がどうでもいいとか優劣を付けるつもりはありませんのであらかじめご了承下さいませ。

2018年5月 2日 (水)

手話に関するつぶやき 抜粋まとめ(後編)

まーた手指日本語か!もう!
何でさーその言葉を使っている当事者が嫌だ、そんな呼び方したことないっつってんのに「言語学的に」とかで勝手に「手指日本語」とか名前付けてんの?それ排除だよね。そんなら「パペポ手話」とか勝手にいってもいいわけ?
あぁ、過激になってしまう。いかんいかん。
「誰が私に説明してくれますか?」だったかな。あんな手話表現する人そんなにいないし、それを例にするのは極端(もちろん尊重すべきではある)。そしてそれを(手指日本語)と勝手に定義して載せて説明していると大きな誤解を与える。あれも手話の一つだろうし、比較対象にするのは違うと思う。
手話には(世代、地域、生育環境、教育などで)話者によりバリエーションがあって、どこで区切れるかわからない、そして日本語の影響を多分に受けていることが多いのが現実だと思う。独立性は否定しないが、区別することにはやはり同意できない。個人的な考え。
手話が第一言語だからそれが日本手話っていうのは安易だなぁ。そもそも何が日本手話で、どのくらい純粋な日本手話なのかわからない。純日本手話主義でそういう言語を身につけることは否定しないけど、それが当たり前のように言われると現実そうでもないわよ奥さん、って言いたくなる。
あと繰り返しになるが「聴者」という表現はキライ。自分はそう呼ばれたくない。かといって「健聴者」と言ってほしいわけでもない。

今年度からのみんなの手話、監修しているのは聞こえる人。講師はろう者だが自分たちの意志に沿っていれば聞こえる人でもカリキュラム作ったりするのは構わないってことなのかな。「手話はろう者が教えるべき」と、若干矛盾してるように思うけど。どのくらい手話できる人か知らんねんけどね。
私の言語は「手指日本語」です!って自信を持って主張している当事者がいない(むしろ否定的な意見ばかり)な状況をどう考えるのだろうか。なんで当事者じゃない人が勝手に定義づけているのだろうか。散々それをやられて苦しんできたはずなのに。
「手指日本語」と言いたい人は日本語対応手話(と呼ばれているもの)を使っている人に「あなたの言語は手話言語学的に『手指日本語』と言いまして手話ではありません」って言ってほしい。絶対「はぁ?何で?」ってなる。んでもってちゃんとその人が納得するように説明してほしい。
()でくくろうが何しようがその人にとって不快な表現は使わないってそんなにおかしいこと?
手指日本語と規定している手話言語学が偏り過ぎているのが原因なんだと思いますよ。学術用語と言いながら手話初心者にそうやって広めようとしている。
感情論でも何でも良いんだけど、なして「手指日本語」と定義したいのだろうか。文字通り手や指で表す「日本語」だから?それは日本語の言語学者は認めてるの?日本語対応手話じゃだめなの?という素朴な疑問に答えてくれないのです。
つまりある種の「日本手話」を守りたいだけのために他の種類の手話をダシに…言葉が悪いな、比較対象にしているだけなんじゃないかと。
手話言語学なら幅広い手話の形態、多様性(日本語に大きな影響を受けることやマイノリティゆえの特性)について研究するべきなのに、結局「日本手話がいかに素晴らしい言語なのか」だけになってる気がする。すばらしいのは否定しないから、他の手話についてもちゃんと現場を見て研究してほしい。
で、「日本語対応手話から勉強を始めると手話がうまくなりませんよ」とか「日本手話からやったら対応手話はあとからできますよ」とか言うわけですよ。そうじゃない学習者もたくさんいますし、対応手話を必要としているろう者もたくさんいます。
実際に通っていた学校では対応手話のことバカにしてたしね。今は知らんけど。あぁ、少しムキになってしまいました。反省。
地域に住んでる未就学の高齢ろう者、聞こえる人の社会で揉まれて手話と口話を使い分けながら生活しているろう者、学校に通って日本語を比較的獲得している若いろう者、それぞれをどうやってカテゴリーするのか、納得する説明を聞いてみたいもんだわ。少なくとも「二つあります」ではないと思う。
会わないとわからないならフィールドワークとして会いに行って、この人はこれ、この人はこう、とソースを積み上げて行く、そういうことをするべきなんじゃないの?一部の人ばかりを取り上げてていいの?
自分のことを言えば、手話通訳として目の前の対象者が一番わかりやすい手話ができるよう、努力するのみなんです。そして手話を知らない聞こえる人に、聞こえる立場で理解を広めていく。それくらいしかできないので。ろう者の取り巻きになるつもりはありません。
「言語学」と言えば許されるのだろうか。その言葉を使っている人の背景や思いをくみ取って整理し、論理的に分析、説明する、それが学問だと思う。それを「感情的」と一蹴する。そんな学問なら要らないと思う。ま、一部の人だけであってほしいですが。
(何のか、1つか2つか3つかたくさんなのかはおいといて)「手話」そのものがまだ市民権を得られていないこの時代。もっとやるべきことがあるんじゃないのか。これまで苦労してきた人たちの基盤に乗っかって机上の空論を述べていても社会は動かない。
お仲間が増えれば満足なのかもしれない。でもそれは大きく言えばお仲間でない人が排除されることになる。
自分は家族に(あちらの定義する「手指日本語」を使う)ろう者がいるからこそ許せないし、感情的になる面もある。普通の聞こえる人は「あ、そうなんだ」と受け入れることもあるだろう。そこまで否定はしない。けど、さもそれが全てかのように論じられるのは納得がいかない。
弟をダシにして悪いが、誰か弟と話してどんな手話をしてるか確認して、「あなたの手を使って話す言葉は言語学的に手指日本語ですね」って言ってやってほしい。本人は意味が理解できないだろうけど。弟は弟の手話がある。「手指日本語は手話ではないとは言ってない」⇒詭弁にしか聞こえない。
聞こえる人が多い社会で、多くのろう者は苦労して、工夫して生きてきた。今もそう。口話も使う人も多かっただろう。家庭や教育の影響もある。でも、それで身につけた(仮に不完全な)日本語や手話でも、尊重しなければならない。学術的ではない思いですね。でもいいんです。
一部の「手話言語学」論者は、「(日本手話)言語学」として考え、その対象となる人、文法や背景・文化などは研究するが、それ以外の手話(いわゆる対応手話など)は対象としてない(もっと言えば比較対象くらいとしてしか興味がない)から適当に扱っているように思える。だから納得がいかないんだな。
学問に明るくないのに偉そうに語ってしまいました。
研究対象に敬意を持っていればこんな話にはならないはずなんだが。もしくは当事者が全く知らないところでやるならまだわかる。でもこんな中途半端な状態のものを広めようとしている。そこが言いたいのに。
私、そんなにアホなこと言ってるのかな。
思いとしては「手話やろう者について一般社会の理解を深める」のは同じはずなのに、アプローチが違いすぎて相容れないのが不思議。現場を見ていればやることはわかると思うのは私だけかな。「運動」をしろ、ということではないんだけれども。
文化や言語を扱う研究者の方は研究の対象とするもの、それに所属する・使う人のことを尊重するべきだと思う。
自分の常識を当たり前だと思わないこと、普通とは何か、特に障害分野やマイノリティを扱うなら大事な観点だと思います。
売り言葉に買い言葉的な感じになったのは反省しますが、基本スタンスは変えているつもりないですし、これからも納得できる説明がなければ批判をすることもあるでしょう。前向きな議論はしたいところですが、どうもそうではなくなってしまうのはどうしてなんでしょうか。
そもそもの発端は手指日本語だったり手話がいくつ的なものだったりすると言う一部の人が唱える学説(らしきもの)を、さもそれが社会的に認められた事実かのように初心者に伝えるのはどうか、という問題提起だったつもりで、学問をどうこうの話じゃないんだけど。

というわけで、お目汚し失礼いたしました。ご意見があればいただけるとうれしいです。おやすみなさいませ。

(以上でございます。あくまでも個人の考えで何かに感化されている訳ではありせん)

2018年5月 1日 (火)

手話に関するつぶやき 抜粋まとめ(前編)

ここ最近、Twitterの方で手話や手話通訳について、いろいろお個人の思いをツイートしてきたので、少しまとめてこちらで2回に分けて紹介します。抜粋してますので前後でつじつまが合わないところがありましたら申し訳ないですが、基本的なスタンスは同じです。

(ウメダスのTwitterから)

手話通訳って読みとりも聞き取りも「手がよく動く」「口数が多い」タイプの人と「できるだけまとめる」「聞き溜める」タイプの人がいる。どちらが良し悪しではないが、ワタクシは前者のほう。
見たもの(聞いたもの)を通訳して手話や音声に出すのが比較的早い方らしい。それは翻訳しきれていないからなのかもしれない。
でも思いとしては自分が受け取った情報は少しでも漏らさずに出したいという思い(自分のせいで情報量を減らしたくない)があるからかもしれない。通訳がまとめたりするのってその人の意志が入る。それが言語間翻訳だと言われればそうかも知れないが、同時的にそれができるか。
あと何か知らないけどうっかり予知機能が働きすぎて先に話が終わってしまうと言うこともたまにある。これはいけないこと。結果が合っていればいいが、そうでなければ誤訳となる(自己フォローはするが)。

手話通訳も技術を磨く必要があるのはわかる。ただ、官邸の手話通訳がわからんと批判するだけのろう者(学者さん?)は、事前資料もない状態で、文字起こしされた字幕を話すのと同じスピードで流し見するのでそれ すぐにをろう者にわかりやすい手話にしてみてほしい。どれだけ大変か。
批判をするだけなら簡単。ならどうすれば通訳者の技術があがるのか、養成をどうすればいいのか、具体的な提案がないとただの文句にしか聞こえない。あなたたちはわかりやすい手話ができる手話通訳者をそれなりの人数育てられてるの?と問いたい。
手話通訳者としても常日頃技術を研鑽して知識も集めないといけないのはその通り。ただ、今の待遇ではそれができる環境にある人が少なすぎて、個人の資質・環境に頼りすぎている。それにしてももう少し技術レベルをあげるべきだとは思うが。
官邸だけじゃなく様々な場面でもそう。これからニーズが増えていくからこそ、手話通訳者の養成は大きな課題。ろう者も手話通訳者も団体も真剣に取り組んでいく必要がある。いたるところで通訳者不足が起きているので結構待ったなしの状態。
誤解のないように言っておくと、「わからない」のを我慢しろということではない、ということ。じゃあ、どうすればいいか、考えよう、ということです。

視点が違うのかも知れません。日本語だって方言など違いかありますが、それは「日本語」です。言語学的には違うのかもしれませんが。そもそも対応手話も日本手話も定義が曖昧だと個人的に思ってます。ほとんどのろう者はそのどちら(の正統なもの)にも当てはまらない気がするのです。
言語学的に、とよく使われるのですが、その枕詞さえ付ければ良いとは思えません。日本語の影響を多分に受けてきた地域のろう者が表出する自然な手話を尊重すべきです。
私はほとんど日本語で育ってきたろう者の「○○手話」が、この区別により他者に「それは手話ではない」と否定されることを危惧しています。聞こえない人が手や表情などで話す物は「広義の手話」ですし、それを否定することにより他者の言語を否定することにつながり、それが心配です。
多様性を認めないとは言ってませんよ。多様な物があるからこそ今の区別の仕方が無意味だと思うだけで、納得できる理論が出てくれば話は変わります。でも、一向に出てこない。私がわかろうとしないだけな頑固者だからですかね。
私は言語というか、言葉は”人”に付随するものだと思っています。なので、その人が話す言語は多種多様、特に手話のようなマイノリティなものは特にその特徴が表れると思います。
少し続きます。なぜ一介の手話通訳者でしかない私がこんなにムキになるのかというと、家族の存在です。音声日本語に囲まれ、書記日本語は正しくできず、手話も日本語より、でも自分の言葉として持っています。私はそれを彼の「手話」だと思っています。区別することで除外されるものが出てきます。
そんな家族(弟なんですけど)の手話を「手指日本語」という「手話ではない」レッテルを貼ろうとしたのが許せません。では区別ができるなら、弟の手話は言語学的にどういう手話でしょうか。会ったことがないからわからない、で済まされますか。
分けようとするのなら、多様性を認めた上で、本人たちが納得できる説明をしてからやるべきなのです。弟だけではない、私が今まで出会ってきた人の手話はそれこそ出会った人だけの数があります。日本語もそうですが、日本語は数も多く、ある程度整理されてきました。
弟自身はこんなこと考えていないと思いますが、もし自分の言語が他者によって区別・否定されたら…そういうろう者が世の中にたくさん暮らしている。そう考えるとどうしてもこういう意見になります。学者的にはもう感情論にしか見えないでしょうけど。
希少かどうかは関係なく、例えば日本語だってその中にたくさんある(但し日本の手話より整理はされている)、英語だってそう、と言いたいのです。唐突ではなく、繰り返しになりますが、「広義の手話」です。
じゃあ、区別の材料はどうするのでしょうか。科学的ならだいたい何種類でどんな部類のものがあるか、例がなくても示せるはずです。そういうことを言いたいのです。
隣でしゃべっている若者も日本語、逆側でしゃべっているおじさんも日本語。今日話した何人かのろう者の言葉も違いはあれど手話、弟の(第一か第二か知らんけど)言語も手話、手話ニュースにでている人の言語も手話。みんな違って、みんないいんですよ。でも手話は手話なんですねー。
主張するなら納得できる根拠があるはずなんだけど、「あるものはある」で全然出てこないんだよね。それが不思議。
(後編へ続く←続き物でもないですが汗)

2018年2月24日 (土)

全通研N-Action合宿inしずおか 後編

前編はただの静岡紹介になってしまいました。

Sizuchokyo

1日目の会場は「静岡県聴覚障害者協会」も入っている「シズウェル」で開催されました。ウメは総合司会。司会業が得意なウメにはぴったりな役どころございます。全国各地から35名程度が参加してくれました。

最初は全日本ろうあ連盟70周年記念ドキュメンタリー映画「段また段を成して」の監督をされた方の講演。ウメは1度映画(DVDでですが)を見たことがありましたが、全然知らなかった裏話を聞かせていただいて、とても面白かったです。

その後はグループディスカッション。ここは運営側の委員も一緒に参加して意見交換。委員としては進行のお手伝いをする役目だったのですがついうっかりしゃべりすぎるといういつものパターン。そして発表。

夜はホテルに移動して交流会。講師の方も来て下さってもうお喋り。久しぶりの人もいれば、それなりに会っている人もいますし、初対面の人もいて、でも皆志は同じなので楽しく交流ができました。交流会は12時過ぎまで続いたでしょうか…。

Sizuokasake

ここで話は1日前に戻るんですけど、金曜日にも交流会に参加していました。こちらは韓国のろう青年協会の皆さんが静岡に来られていたということで、ここの居酒屋で交流会。静岡って餃子に男と女があるんですね。静岡だけじゃないのかな?日本の手話、韓国の手話、国際手話が入り乱れる中、ウメは日本の手話しかできないので、結構圧倒されておりました。

Oden

名物静岡おでんはちゃんといただきましたよ。でも「さわやか」ハンバーグを食べる機会がなかったのが大変残念です。食べたかった…。

Dekopon

お土産でいただいたデコポン。韓国の名産品?なのかな。これをわざわざ箱で持ってきてくださったそうで…。「ザ!デコポン!」という感じがします。

時系列が一日戻りました。2日目は昨日紹介した「パルシェ」に移動して、全通研理事より「手話通訳ってどんなこと?」について、本音も交えた講演。N-Actionの皆さんは全員が手話通訳を目指しているわけではないのですが、組織の中で活動するためのヒントがたくさんちりばめられていました。

そして一番盛り上がったのが午後の「ディベート」です。自分の意見を言うだけ、ではなく、与えられたお題に対して賛成か反対かを指定して相手討論するもの。自分の気持ちを抑えて、決められた時間内に進める、相手に伝わるように発表をする、皆さん新鮮だったようです。

(ウメではない)進行役の委員がとても上手く進めてくれて良い企画となりました。

そして別れを惜しみながら解散。中身の濃い合宿になったと思います。総合司会は相変わらずよくしゃべるパターンだったのですが、なんだろう、同世代の集まりってこんなに楽しいんだな、と。同世代と言っても自分はもう経験も長い方になっていますが、やっぱり気軽に話せる機会は重要ですし、それを元に地元でもN-Action活動を盛り上げていければいいなぁと思っています。

とはいえ、ウメももう40間近。いつまでも若いグループにいられる訳じゃない(講師の名言「若さは永遠ではない」)ので、しっかりと組織でいろんな役割を担えるように今後も成長していきたいと思っています。

参加された皆様、ありがとうございました。そしてお疲れ様でした。ここで得た繋がりは大事にしていきたいと思います。

2018年2月23日 (金)

全通研N-Action合宿inしずおか 前編

昨日は動画をアップしましたので今日は文章と写真で。

先週末、静岡市で開催された第3回全通研N-Action合宿に参加してきました。参加というか、運営側なんですが、ウメは2回目。1回目はインフルエンザで泣く泣く欠席でございます。静岡に来たのは11年前?の全国ろうあ者大会以来だったような気がします。

Hikari

静岡駅に停車するのはひかり号。しかも毎時1本(夜は多くのひかり号が止まるみたいですが)。金曜日の夜に乗車したため、東京駅に着いた時には指定席は満席、早めに着いたのでよかったのですが、自由席も満席でした。さすが金曜日の下りの新幹線は怖い…。

Siuoka1

はい。約1時間で静岡駅に到着。降りる人も乗る人もたくさんいました。

Shizuoka2

JR静岡駅。駅自体は東海道新幹線と東海道本線しか乗り入れていませんが、1日12万人が利用する大きな駅です。

Shizuoka3

静岡駅駅ビル「パルシェ」でございます。ここが合宿の2日目の会場にもなりました。会議室受付のおねえさんが大変ぶっきらぼうだったことを覚えています。でも静岡駅ってこんなにおっきかったかなぁというイメージ。やっぱり県の中心都市だけに栄えていますね。少し歩くと昔ながらの商店街っぽいところもありましたが。

Shizutetsu

わかりにくいんですけど、奥に見えるのが静岡鉄道(しずてつ)の新静岡駅です。しずてつは新静岡駅から新清水駅を東海道本線の駅のないところも含めてこまめに停車していきます。ちょっと乗りたかったなぁ。

で、前泊したホテルがこちら。

Hotel1
Hotel2
Hotel3

ごくごく一般的なビジネスホテルですね。でもフロントの人に「(合宿会場の)シズウェルってどの方面ですか?」と聞いても知りませんでした…地元の担当曰く「社会福祉会館って言わないと分からないかも…」とのこと。むむぅ。

Rimokonjimaku

はい。また字幕ボタンがないリモコン。もう~。昔ながらのチューナータイプのやつでした。

あ、合宿のこと全然書いていないのにもうこんなに。続きは明日!



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