2018年8月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想

カテゴリー「手話」の記事

2018年5月 2日 (水)

手話に関するつぶやき 抜粋まとめ(後編)

まーた手指日本語か!もう!
何でさーその言葉を使っている当事者が嫌だ、そんな呼び方したことないっつってんのに「言語学的に」とかで勝手に「手指日本語」とか名前付けてんの?それ排除だよね。そんなら「パペポ手話」とか勝手にいってもいいわけ?
あぁ、過激になってしまう。いかんいかん。
「誰が私に説明してくれますか?」だったかな。あんな手話表現する人そんなにいないし、それを例にするのは極端(もちろん尊重すべきではある)。そしてそれを(手指日本語)と勝手に定義して載せて説明していると大きな誤解を与える。あれも手話の一つだろうし、比較対象にするのは違うと思う。
手話には(世代、地域、生育環境、教育などで)話者によりバリエーションがあって、どこで区切れるかわからない、そして日本語の影響を多分に受けていることが多いのが現実だと思う。独立性は否定しないが、区別することにはやはり同意できない。個人的な考え。
手話が第一言語だからそれが日本手話っていうのは安易だなぁ。そもそも何が日本手話で、どのくらい純粋な日本手話なのかわからない。純日本手話主義でそういう言語を身につけることは否定しないけど、それが当たり前のように言われると現実そうでもないわよ奥さん、って言いたくなる。
あと繰り返しになるが「聴者」という表現はキライ。自分はそう呼ばれたくない。かといって「健聴者」と言ってほしいわけでもない。

今年度からのみんなの手話、監修しているのは聞こえる人。講師はろう者だが自分たちの意志に沿っていれば聞こえる人でもカリキュラム作ったりするのは構わないってことなのかな。「手話はろう者が教えるべき」と、若干矛盾してるように思うけど。どのくらい手話できる人か知らんねんけどね。
私の言語は「手指日本語」です!って自信を持って主張している当事者がいない(むしろ否定的な意見ばかり)な状況をどう考えるのだろうか。なんで当事者じゃない人が勝手に定義づけているのだろうか。散々それをやられて苦しんできたはずなのに。
「手指日本語」と言いたい人は日本語対応手話(と呼ばれているもの)を使っている人に「あなたの言語は手話言語学的に『手指日本語』と言いまして手話ではありません」って言ってほしい。絶対「はぁ?何で?」ってなる。んでもってちゃんとその人が納得するように説明してほしい。
()でくくろうが何しようがその人にとって不快な表現は使わないってそんなにおかしいこと?
手指日本語と規定している手話言語学が偏り過ぎているのが原因なんだと思いますよ。学術用語と言いながら手話初心者にそうやって広めようとしている。
感情論でも何でも良いんだけど、なして「手指日本語」と定義したいのだろうか。文字通り手や指で表す「日本語」だから?それは日本語の言語学者は認めてるの?日本語対応手話じゃだめなの?という素朴な疑問に答えてくれないのです。
つまりある種の「日本手話」を守りたいだけのために他の種類の手話をダシに…言葉が悪いな、比較対象にしているだけなんじゃないかと。
手話言語学なら幅広い手話の形態、多様性(日本語に大きな影響を受けることやマイノリティゆえの特性)について研究するべきなのに、結局「日本手話がいかに素晴らしい言語なのか」だけになってる気がする。すばらしいのは否定しないから、他の手話についてもちゃんと現場を見て研究してほしい。
で、「日本語対応手話から勉強を始めると手話がうまくなりませんよ」とか「日本手話からやったら対応手話はあとからできますよ」とか言うわけですよ。そうじゃない学習者もたくさんいますし、対応手話を必要としているろう者もたくさんいます。
実際に通っていた学校では対応手話のことバカにしてたしね。今は知らんけど。あぁ、少しムキになってしまいました。反省。
地域に住んでる未就学の高齢ろう者、聞こえる人の社会で揉まれて手話と口話を使い分けながら生活しているろう者、学校に通って日本語を比較的獲得している若いろう者、それぞれをどうやってカテゴリーするのか、納得する説明を聞いてみたいもんだわ。少なくとも「二つあります」ではないと思う。
会わないとわからないならフィールドワークとして会いに行って、この人はこれ、この人はこう、とソースを積み上げて行く、そういうことをするべきなんじゃないの?一部の人ばかりを取り上げてていいの?
自分のことを言えば、手話通訳として目の前の対象者が一番わかりやすい手話ができるよう、努力するのみなんです。そして手話を知らない聞こえる人に、聞こえる立場で理解を広めていく。それくらいしかできないので。ろう者の取り巻きになるつもりはありません。
「言語学」と言えば許されるのだろうか。その言葉を使っている人の背景や思いをくみ取って整理し、論理的に分析、説明する、それが学問だと思う。それを「感情的」と一蹴する。そんな学問なら要らないと思う。ま、一部の人だけであってほしいですが。
(何のか、1つか2つか3つかたくさんなのかはおいといて)「手話」そのものがまだ市民権を得られていないこの時代。もっとやるべきことがあるんじゃないのか。これまで苦労してきた人たちの基盤に乗っかって机上の空論を述べていても社会は動かない。
お仲間が増えれば満足なのかもしれない。でもそれは大きく言えばお仲間でない人が排除されることになる。
自分は家族に(あちらの定義する「手指日本語」を使う)ろう者がいるからこそ許せないし、感情的になる面もある。普通の聞こえる人は「あ、そうなんだ」と受け入れることもあるだろう。そこまで否定はしない。けど、さもそれが全てかのように論じられるのは納得がいかない。
弟をダシにして悪いが、誰か弟と話してどんな手話をしてるか確認して、「あなたの手を使って話す言葉は言語学的に手指日本語ですね」って言ってやってほしい。本人は意味が理解できないだろうけど。弟は弟の手話がある。「手指日本語は手話ではないとは言ってない」⇒詭弁にしか聞こえない。
聞こえる人が多い社会で、多くのろう者は苦労して、工夫して生きてきた。今もそう。口話も使う人も多かっただろう。家庭や教育の影響もある。でも、それで身につけた(仮に不完全な)日本語や手話でも、尊重しなければならない。学術的ではない思いですね。でもいいんです。
一部の「手話言語学」論者は、「(日本手話)言語学」として考え、その対象となる人、文法や背景・文化などは研究するが、それ以外の手話(いわゆる対応手話など)は対象としてない(もっと言えば比較対象くらいとしてしか興味がない)から適当に扱っているように思える。だから納得がいかないんだな。
学問に明るくないのに偉そうに語ってしまいました。
研究対象に敬意を持っていればこんな話にはならないはずなんだが。もしくは当事者が全く知らないところでやるならまだわかる。でもこんな中途半端な状態のものを広めようとしている。そこが言いたいのに。
私、そんなにアホなこと言ってるのかな。
思いとしては「手話やろう者について一般社会の理解を深める」のは同じはずなのに、アプローチが違いすぎて相容れないのが不思議。現場を見ていればやることはわかると思うのは私だけかな。「運動」をしろ、ということではないんだけれども。
文化や言語を扱う研究者の方は研究の対象とするもの、それに所属する・使う人のことを尊重するべきだと思う。
自分の常識を当たり前だと思わないこと、普通とは何か、特に障害分野やマイノリティを扱うなら大事な観点だと思います。
売り言葉に買い言葉的な感じになったのは反省しますが、基本スタンスは変えているつもりないですし、これからも納得できる説明がなければ批判をすることもあるでしょう。前向きな議論はしたいところですが、どうもそうではなくなってしまうのはどうしてなんでしょうか。
そもそもの発端は手指日本語だったり手話がいくつ的なものだったりすると言う一部の人が唱える学説(らしきもの)を、さもそれが社会的に認められた事実かのように初心者に伝えるのはどうか、という問題提起だったつもりで、学問をどうこうの話じゃないんだけど。

というわけで、お目汚し失礼いたしました。ご意見があればいただけるとうれしいです。おやすみなさいませ。

(以上でございます。あくまでも個人の考えで何かに感化されている訳ではありせん)

2018年5月 1日 (火)

手話に関するつぶやき 抜粋まとめ(前編)

ここ最近、Twitterの方で手話や手話通訳について、いろいろお個人の思いをツイートしてきたので、少しまとめてこちらで2回に分けて紹介します。抜粋してますので前後でつじつまが合わないところがありましたら申し訳ないですが、基本的なスタンスは同じです。

(ウメダスのTwitterから)

手話通訳って読みとりも聞き取りも「手がよく動く」「口数が多い」タイプの人と「できるだけまとめる」「聞き溜める」タイプの人がいる。どちらが良し悪しではないが、ワタクシは前者のほう。
見たもの(聞いたもの)を通訳して手話や音声に出すのが比較的早い方らしい。それは翻訳しきれていないからなのかもしれない。
でも思いとしては自分が受け取った情報は少しでも漏らさずに出したいという思い(自分のせいで情報量を減らしたくない)があるからかもしれない。通訳がまとめたりするのってその人の意志が入る。それが言語間翻訳だと言われればそうかも知れないが、同時的にそれができるか。
あと何か知らないけどうっかり予知機能が働きすぎて先に話が終わってしまうと言うこともたまにある。これはいけないこと。結果が合っていればいいが、そうでなければ誤訳となる(自己フォローはするが)。

手話通訳も技術を磨く必要があるのはわかる。ただ、官邸の手話通訳がわからんと批判するだけのろう者(学者さん?)は、事前資料もない状態で、文字起こしされた字幕を話すのと同じスピードで流し見するのでそれ すぐにをろう者にわかりやすい手話にしてみてほしい。どれだけ大変か。
批判をするだけなら簡単。ならどうすれば通訳者の技術があがるのか、養成をどうすればいいのか、具体的な提案がないとただの文句にしか聞こえない。あなたたちはわかりやすい手話ができる手話通訳者をそれなりの人数育てられてるの?と問いたい。
手話通訳者としても常日頃技術を研鑽して知識も集めないといけないのはその通り。ただ、今の待遇ではそれができる環境にある人が少なすぎて、個人の資質・環境に頼りすぎている。それにしてももう少し技術レベルをあげるべきだとは思うが。
官邸だけじゃなく様々な場面でもそう。これからニーズが増えていくからこそ、手話通訳者の養成は大きな課題。ろう者も手話通訳者も団体も真剣に取り組んでいく必要がある。いたるところで通訳者不足が起きているので結構待ったなしの状態。
誤解のないように言っておくと、「わからない」のを我慢しろということではない、ということ。じゃあ、どうすればいいか、考えよう、ということです。

視点が違うのかも知れません。日本語だって方言など違いかありますが、それは「日本語」です。言語学的には違うのかもしれませんが。そもそも対応手話も日本手話も定義が曖昧だと個人的に思ってます。ほとんどのろう者はそのどちら(の正統なもの)にも当てはまらない気がするのです。
言語学的に、とよく使われるのですが、その枕詞さえ付ければ良いとは思えません。日本語の影響を多分に受けてきた地域のろう者が表出する自然な手話を尊重すべきです。
私はほとんど日本語で育ってきたろう者の「○○手話」が、この区別により他者に「それは手話ではない」と否定されることを危惧しています。聞こえない人が手や表情などで話す物は「広義の手話」ですし、それを否定することにより他者の言語を否定することにつながり、それが心配です。
多様性を認めないとは言ってませんよ。多様な物があるからこそ今の区別の仕方が無意味だと思うだけで、納得できる理論が出てくれば話は変わります。でも、一向に出てこない。私がわかろうとしないだけな頑固者だからですかね。
私は言語というか、言葉は”人”に付随するものだと思っています。なので、その人が話す言語は多種多様、特に手話のようなマイノリティなものは特にその特徴が表れると思います。
少し続きます。なぜ一介の手話通訳者でしかない私がこんなにムキになるのかというと、家族の存在です。音声日本語に囲まれ、書記日本語は正しくできず、手話も日本語より、でも自分の言葉として持っています。私はそれを彼の「手話」だと思っています。区別することで除外されるものが出てきます。
そんな家族(弟なんですけど)の手話を「手指日本語」という「手話ではない」レッテルを貼ろうとしたのが許せません。では区別ができるなら、弟の手話は言語学的にどういう手話でしょうか。会ったことがないからわからない、で済まされますか。
分けようとするのなら、多様性を認めた上で、本人たちが納得できる説明をしてからやるべきなのです。弟だけではない、私が今まで出会ってきた人の手話はそれこそ出会った人だけの数があります。日本語もそうですが、日本語は数も多く、ある程度整理されてきました。
弟自身はこんなこと考えていないと思いますが、もし自分の言語が他者によって区別・否定されたら…そういうろう者が世の中にたくさん暮らしている。そう考えるとどうしてもこういう意見になります。学者的にはもう感情論にしか見えないでしょうけど。
希少かどうかは関係なく、例えば日本語だってその中にたくさんある(但し日本の手話より整理はされている)、英語だってそう、と言いたいのです。唐突ではなく、繰り返しになりますが、「広義の手話」です。
じゃあ、区別の材料はどうするのでしょうか。科学的ならだいたい何種類でどんな部類のものがあるか、例がなくても示せるはずです。そういうことを言いたいのです。
隣でしゃべっている若者も日本語、逆側でしゃべっているおじさんも日本語。今日話した何人かのろう者の言葉も違いはあれど手話、弟の(第一か第二か知らんけど)言語も手話、手話ニュースにでている人の言語も手話。みんな違って、みんないいんですよ。でも手話は手話なんですねー。
主張するなら納得できる根拠があるはずなんだけど、「あるものはある」で全然出てこないんだよね。それが不思議。
(後編へ続く←続き物でもないですが汗)

2018年2月24日 (土)

全通研N-Action合宿inしずおか 後編

前編はただの静岡紹介になってしまいました。

Sizuchokyo

1日目の会場は「静岡県聴覚障害者協会」も入っている「シズウェル」で開催されました。ウメは総合司会。司会業が得意なウメにはぴったりな役どころございます。全国各地から35名程度が参加してくれました。

最初は全日本ろうあ連盟70周年記念ドキュメンタリー映画「段また段を成して」の監督をされた方の講演。ウメは1度映画(DVDでですが)を見たことがありましたが、全然知らなかった裏話を聞かせていただいて、とても面白かったです。

その後はグループディスカッション。ここは運営側の委員も一緒に参加して意見交換。委員としては進行のお手伝いをする役目だったのですがついうっかりしゃべりすぎるといういつものパターン。そして発表。

夜はホテルに移動して交流会。講師の方も来て下さってもうお喋り。久しぶりの人もいれば、それなりに会っている人もいますし、初対面の人もいて、でも皆志は同じなので楽しく交流ができました。交流会は12時過ぎまで続いたでしょうか…。

Sizuokasake

ここで話は1日前に戻るんですけど、金曜日にも交流会に参加していました。こちらは韓国のろう青年協会の皆さんが静岡に来られていたということで、ここの居酒屋で交流会。静岡って餃子に男と女があるんですね。静岡だけじゃないのかな?日本の手話、韓国の手話、国際手話が入り乱れる中、ウメは日本の手話しかできないので、結構圧倒されておりました。

Oden

名物静岡おでんはちゃんといただきましたよ。でも「さわやか」ハンバーグを食べる機会がなかったのが大変残念です。食べたかった…。

Dekopon

お土産でいただいたデコポン。韓国の名産品?なのかな。これをわざわざ箱で持ってきてくださったそうで…。「ザ!デコポン!」という感じがします。

時系列が一日戻りました。2日目は昨日紹介した「パルシェ」に移動して、全通研理事より「手話通訳ってどんなこと?」について、本音も交えた講演。N-Actionの皆さんは全員が手話通訳を目指しているわけではないのですが、組織の中で活動するためのヒントがたくさんちりばめられていました。

そして一番盛り上がったのが午後の「ディベート」です。自分の意見を言うだけ、ではなく、与えられたお題に対して賛成か反対かを指定して相手討論するもの。自分の気持ちを抑えて、決められた時間内に進める、相手に伝わるように発表をする、皆さん新鮮だったようです。

(ウメではない)進行役の委員がとても上手く進めてくれて良い企画となりました。

そして別れを惜しみながら解散。中身の濃い合宿になったと思います。総合司会は相変わらずよくしゃべるパターンだったのですが、なんだろう、同世代の集まりってこんなに楽しいんだな、と。同世代と言っても自分はもう経験も長い方になっていますが、やっぱり気軽に話せる機会は重要ですし、それを元に地元でもN-Action活動を盛り上げていければいいなぁと思っています。

とはいえ、ウメももう40間近。いつまでも若いグループにいられる訳じゃない(講師の名言「若さは永遠ではない」)ので、しっかりと組織でいろんな役割を担えるように今後も成長していきたいと思っています。

参加された皆様、ありがとうございました。そしてお疲れ様でした。ここで得た繋がりは大事にしていきたいと思います。

2018年2月23日 (金)

全通研N-Action合宿inしずおか 前編

昨日は動画をアップしましたので今日は文章と写真で。

先週末、静岡市で開催された第3回全通研N-Action合宿に参加してきました。参加というか、運営側なんですが、ウメは2回目。1回目はインフルエンザで泣く泣く欠席でございます。静岡に来たのは11年前?の全国ろうあ者大会以来だったような気がします。

Hikari

静岡駅に停車するのはひかり号。しかも毎時1本(夜は多くのひかり号が止まるみたいですが)。金曜日の夜に乗車したため、東京駅に着いた時には指定席は満席、早めに着いたのでよかったのですが、自由席も満席でした。さすが金曜日の下りの新幹線は怖い…。

Siuoka1

はい。約1時間で静岡駅に到着。降りる人も乗る人もたくさんいました。

Shizuoka2

JR静岡駅。駅自体は東海道新幹線と東海道本線しか乗り入れていませんが、1日12万人が利用する大きな駅です。

Shizuoka3

静岡駅駅ビル「パルシェ」でございます。ここが合宿の2日目の会場にもなりました。会議室受付のおねえさんが大変ぶっきらぼうだったことを覚えています。でも静岡駅ってこんなにおっきかったかなぁというイメージ。やっぱり県の中心都市だけに栄えていますね。少し歩くと昔ながらの商店街っぽいところもありましたが。

Shizutetsu

わかりにくいんですけど、奥に見えるのが静岡鉄道(しずてつ)の新静岡駅です。しずてつは新静岡駅から新清水駅を東海道本線の駅のないところも含めてこまめに停車していきます。ちょっと乗りたかったなぁ。

で、前泊したホテルがこちら。

Hotel1
Hotel2
Hotel3

ごくごく一般的なビジネスホテルですね。でもフロントの人に「(合宿会場の)シズウェルってどの方面ですか?」と聞いても知りませんでした…地元の担当曰く「社会福祉会館って言わないと分からないかも…」とのこと。むむぅ。

Rimokonjimaku

はい。また字幕ボタンがないリモコン。もう~。昔ながらのチューナータイプのやつでした。

あ、合宿のこと全然書いていないのにもうこんなに。続きは明日!



2017年10月 7日 (土)

選挙の新しい手話 確定

日本手話研究所は、今回の衆議院解散総選挙の政見放送に備え、新しい単語や時事用語の手話を確定しました。今回確定されたのは全部で45単語。

特集:選挙に係る手話(8)(日本手話研究所サイト)

Senkyoshuwa

今回の選挙で使うか?という単語も無きにしもあらずだったり、ウメ自身が勉強不足で聞いたこともない単語も結構あったりするのですが、「希望の党」と「立憲民主党」の単語も確定されています(組み合わせのようですが)。

確定された45単語を転記してみました。

人づくり
この道
弱い立場
価格転嫁拒否
分散型
3党合意
一帯一路
拡大抑止
仮想通貨・ビットコイン
大阪都構想
在留資格
地銀再編
加給年金と振替加算
水素爆弾
解散総選挙
第三類医薬品
ストップ高
ストップ安
ビブグルマン
リスクヘッジ
除名処分
ICT教育
特定疾患
証憑
グローバル化
キャッシュアウト
リベート
賦課金
紛争鉱物
権限委譲
グランピング
レッドライン
ダンピング
五大疾病
スーパーゼネコンA
スーパーゼネコンB
核拡散防止条約A
核拡散防止条約B
人時生産性
アウターライズ地震
希望の党
自己保身解散
核武力
立憲民主党
国難

ビブグルマン(ATOKで変換できた)って何ですのん?あとスーパーゼネコンってゼネコンが巨大化した的な…と、証憑なんて言葉使ったことが無い…と無学ぶりをさらけ出してしまいますが、もしこういう手話通訳の場面が出てきたら知っておかないといけない単語もありますね。「ダンピング」「アウターライズ地震」の手話はほうほう!と思いました。

もちろん、普及していない場合、相手が知らない場合は翻訳・意訳することも大事ですが、この単語が表出されたときに読み取れない、ということもやっちゃーいけませんし。

個人的にはこの手話の確定もそうですが、この単語の選定をどうやってしているか興味があります。うん。今はウメにとっての手話・手話通訳技術の回復期でございまして、いろいろ勉強しなければいけないところであります。はい。

2017年9月10日 (日)

じわじわ戻る 手話力

今の仕事に変わってから2か月とちょっとが経ちました。

当然今の仕事は毎日手話を使う仕事で、時には通訳(電話通訳も含む)をすることがあります。まだ助走期間というと変ですが、自分がメインでやっている仕事はまだ多くありませんが、そろそろ本番といった感じです。

以前は手話の海に浸かっていただけあって、そりゃ毎日手を振り口を動かしていたわけですが、京都にいた3年ちょっとは2週間全然手話しないなんてことは普通だったので、それがまだ毎日手話ができる環境に戻って来られたのは嬉しく思います。

それと同時に、自分の手話の能力がやっぱり落ちていたんだなぁと反省します。そりゃね、仕事にしなくても手話力を落とさないで活動されている方はたくさんいらっしゃると思うんですけど、ウメはそれほど器用ではないのでやっぱりやってないと手話力が落ちてしまうんですよね。もう果てしなく言い訳でしかないんですけど。

それを少しずつ取り戻している現状です。あとは関東の手話(特に地名)と今の仕事でよく使われる手話・手話通訳のやり方を習得していって、もっとスムーズに業務をこなしていけたらと思います。

それと地域の手話ですね。埼玉での活動がまだまだで、今年は(たぶん)手話通訳者全国統一試験も受けることになるはずですし、改めて手話再元年として頑張りたいと思います。っていうか、手話始めて19年目なんですけどね。

他に知識や技術をもっていたらいいんですけど、今のウメには手話・手話通訳しかないですし、それも「完璧!パルフェ!」というわけではないので、頑張ります。あー英語も習いたいなぁ。あと資格も取りたいし…頭の中だけは欲張りで、実際に行動に移せるかは別の話でございます。

2017年6月 8日 (木)

手話言語法ブロックフォーラムin京都

Shuwagengof

6月6日に京都は全国手話研修センターで開催された「手話言語法ブロックフォーラムin京都」に参加してきました。

WFD…世界ろう連盟の副理事長さんと理事さんが「手話言語法の必要性」について、分かりやすく講演されました。手話は国際手話なので国際手話を日本の手話にする通訳さん、そしてウメはその手話を日本語の音声にする通訳要員さんとして参加してきました。京通研に依頼があったんですけど、頼まれたのが先週の土曜日。急。

行ってみると近畿レベルだけではなく、全国レベルで活躍されている方々が話を聞きに来ていて、ウメも思いがけない再会もたくさんすることができました。話自体は「手話言語法の必要性」「法律だけじゃなくて中身も整えていく必要」「ろう者としてのアイデンティティ」「手話の大切さ」など、様々でしたが、とりあえず読み取りに精一杯。

そりゃー名だたる参加者がたくさんいる中で何もウメが読み取らなくても…という思いはあったのですが、せっかくの機会なのでがんばりました。細かくは書きませんが、まぁいろいろ反省点はあったにせよ、何とか情報をお届けできたと思います。でもやっぱり焦っちゃうなぁ~と。

結構国際手話が分かる方も来ていて、すごいなぁ~と。ウメは国際手話も英語も全然わかりませんので、必死に綺麗な日本語を表出しようとしておりましたが、うん、もっと精進します。でも読み取る中でこれまでの経験から得た知識が役に立ったので、これから手話の世界にまたザブーンと戻るいい予行演習になったような気がします。

参加された皆様、お疲れ様でした。そして講演いただいたWFDのお二方、福岡の全国ろうあ者大会から長い間お疲れだと思いますが、有意義なお話、ありがとうございました。

2017年5月28日 (日)

京通研学校スタート!

今年度も京通研の研究部長(学習担当)をさせていただくことになりました。

今年度から、京通研は月に1回、第一土曜日を目安に会員さん向け(非会員さんも有料ですが参加可)の学習会を定期的に開催する「京通研学校」をスタートさせることとなり、ウメがその主担当になりました。7月には目玉企画も予定しており、なかなか大変ですが、手話はもちろん、手話だけでない様々な学習の機会を提供することで通研の魅力を高めていけたらと思っています。
Kyothukengakkou1

初回は5月6日に開催。ゴールデンウィークのまっただ中にも関わらず、たくさんの方にお越しいただきました。ウメは今回は講師ではなく助手でございます。

参加された皆さんは熱心に講師の話を聞きながら学習しており、あぁやっぱりニーズは高いんだなぁと思いました。ウメもおそらくそのうち講師を務めることになると思いますが、養成講座と違って、京通研だからできる、京通研でしかできないことを学んでいただければ、講座とはまた違った雰囲気で気軽に学んでいただけたらと思います。

そして講師役も一緒に学んでいく姿勢もとっても大事だと思うのであります。

いやー毎月とか年間計画たてましたけど、大丈夫なんですかねぇ…。でも期待は高まっているようなので、がんばります。

2017年5月10日 (水)

久しぶりの手話と手話通訳

3月の手話言語法シンポジウムの際に久しぶりに読み取り手話通訳をしたのですが、自分と誰かが対面で手話通訳をすることは相変わらずほとんどなかったんですよね。それが先日自分のことを手話で話す機会と、対面で手話通訳をする機会があって、どちらもまぁできたにはできたんですけど、自分の中で納得がいかない結果となりました。

自分のことを手話で話す(音声無し)のがとっても久しぶりで、一生懸命手を動かして手話で話すのですが、文法が乱れてしまったり、同じ事を繰り返して話したり、言いたい単語が出てこない…ということはなかったのですが、やっぱり大分手話と離れている弊害がでてきているなぁと思いました。手話通訳士の端くれとしては日々常に手話とふれあい続けることの大事さを再度実感。

で、対面通訳のことは相手がいるのであまり詳しくはかけないのですが、こちらは技術と言うよりは通訳としてどうしたら良いか、を迷ってしまいました。内容としては難しいものではないのですが、電話だったので相手さんにどう伝えたら良いか(通訳を通して話していることを言うべきか言わざるべきか)とか、ちょっと自分でも混乱してしまって、無難な対応を取ったつもりが少し行き違ったりしてしまって、うまく繋ぎきれなかったなぁ~と。

講演や集会などの通訳は、今でも時々経験はしているのですが、一対一とか、電話通訳とか、いわゆる登録通訳で行くような現場って最近はほとんど行かなくなっちゃっているので、感覚が鈍っているのが自分で分かってイヤですねぇ。その辺の通訳としての立ち振る舞い、相手に合わせられる空気、そして手話の技術、磨き続けなければいけないですね。

ちょっと反省しました。

2017年4月11日 (火)

手話言語法シンポジウム 京都で開催

Shuwasinpo2

Shuwashinpo1

また3月の話になってしまいすいません。3月25日に京都市の東部文化会館で「手話言語法シンポジウム」が開かれました。200人くらいの参加者があったでしょうか。ウメは手話通訳協力要員として参加してきました。お仕事ではありませんが久々の通訳現場です。

シンポジウムが結構豪華でして、手話業界で今一番ホットな自治体の鳥取県知事と兵庫県明石市長からの基調報告、そしてパネルディスカッションでは京都府の健康福祉部長さん、国会議員さん(身体障害者団体連合会会長)、耳鼻科医師、怪人X…もとい、地元ろう協事務局長、コーディネーターには全日ろう連の事務局長さんをお迎えして、「なぜ手話言語法が必要か」について熱く語っていただきました。

こういうシンポジウムってどこか難しすぎたりつまらなかったりするところがありますが、個人的にはどのコーナーも勉強になりましたし、良い機会だったなと思います。先進的な自治体はいろいろ取り組みが進んでいるなぁと実感すると共に、やっぱり「トップが変わると大きく変わる」というのが正直な感想です。

そしてパネルディスカッションではそれぞれの本音と建て前が聞けて良かったです。で、ウメの役割は読み取りだったのですが、まぁ久しぶりの読み取りで皆さまに聞き取りやすい日本語をお伝えできたかどうか…早口でしゃべる話し手さんに必死に追いつこうとしてしまった感(通訳の友人に指摘を受けました)があり、そこはもうちょっと落ち着いてやらないといけないな、と思った次第でございます。

ですが、やっぱりこういう通訳をさせてもらったり、手話についての知識を学んだりする場に来ると刺激されますね。忙しい中時間を作って参加しましたが、良かったです。久しぶりのお会いする方もたくさんいて、やっぱり手話を通しての”つながり”っていいなぁと思った一日でした。

より以前の記事一覧

クリックお願いします


  • にほんブログ村 介護ブログ 手話・点字へ

ウメダス広告

  • 01.おすすめの商品
  • 02.売れ筋の商品
  • 03.ウメダス商品

手話関連ニュース

ウメダスカウンター

  • FC2のカウンターです。
  • ウメダス閲覧中の方
    現在: