ネイティブではない手話通訳 後編
(前編からの続き)
何も手話が特別だと言いたいわけじゃないんですよね。世の中、手話言語条例制定などでやっとこさ理解が徐々に広まっている中、手話通訳できる人が足りません…ということになりかねないと思うんです。でも、「手話通訳者」は職業としては確立していないので(お金を払いたがらない(全員がそうではないですが))ので、待遇は一向に良くならない。登録手話通訳者では到底生活できません。どこかの組織に属すればそこの業務と通訳で精一杯。でも社会の中には情報保障が受けられず困っているろう者がいる…。
手話通訳者の手話はーと批判する方。批判は受け止めますので、是非通訳者を育ててください。社会の中で動ける手話通訳者を。自分の好きな分野だけ通訳する人(そんな人あんまりいないでしょうけど)はそんなに要りません。なんだろう、福祉とか奉仕の精神じゃなくて、そこは「どの現場でも、どのタイプの手話でもしっかり手話通訳をする」というプロ意識を持った通訳者が必要だと思います。第二言語として習得するので、難しい面はたくさんあると思いますが、でもできないはずはないですよね(すいません、根拠はないんですけど)。
現場で動いていると、通訳は付いていてもわからなかった、自分の発言を減らされてしまった…そういう残念な声を聞くことがあります。それは現場の通訳の技量の問題です。じゃあどうしたらいいか、通訳者も人間ですので完璧には対応できません。できることは何か、皆で考える時期なのではないでしょうか。
先日、シンガポールで米朝首脳会談が開催されましたよね。それだけじゃないですけど、ああいう首脳会談の際に用意される通訳者ってどのくらいのレベルなんでしょうか。また、その共同記者会見を中継するテレビで英語の同時通訳さんがたくさん(声で)出てきましたが(不思議と日本人の方が多かった気がします)、やっぱり自然ではない…でも内容は分かる。日本語ー英語のトップクラスの同時通訳でさえ、ああなるわけで、ネイティブのような手話を通訳時に出せ、というのがどだい無理な話だと思うんですよね。
手話ニュースと手話通訳付きのニュースを比べるのもナンセンス。「通訳」というのはその頭の中で様々な経路を経ているわけで、質には限界があるんです。前にTwitterで「首相官邸の通訳を批判する人は、自分で字幕を見ながらそのスピードでやってみい」と書いたらいろいろ反応をもらいました。やや乱暴な意見なのですが、要するにそういうことなんです。手話通訳って大変な仕事なんですよね。
だからろう者への情報保障が少なくて良い、とか、少しくらい下手でも我慢せい、文句を言うんじゃ無い、とかそういうことを言いたいわけじゃないんです。だれも手を抜いてやっているわけではないということです。だけどどうしても技術が足りない、じゃあどうすればより質の高い情報保障ができるか、という建設的な議論をして欲しかったんです。(まぁテレビに映らないという大きな問題はあるにせよ)、首相官邸の記者会見にはついた手話通訳。どういう手話通訳だったら良いのか、文字があった方が良いでしょう、もしかしたら2種類の通訳がいたらいいのかもしれません…でもあそこに行き着くまでに国との必死の交渉と理解を求める運動があったことを忘れれてはいけないんですよね。自然に付いたわけじゃないんです。
それを(一般の人ならともかく)手話通訳養成に携わっている人が文句ばかり言う…なら自分で情報保障ができる人を連れてこられるのか?または自分自身の手駒(という言い方はかなり失礼ですが)で情報保障ができるのか…。
話が大分それてしまいました。第一言語が日本語であることがほとんどの手話通訳者。ウメもそうです。その人たちをこれからどうやって増やしていくか、技術面も待遇面も倫理面も含めて、関係者全員が考えていかなければいけない時期に来ていると思います。
乱文失礼しました。
手話ニュースと手話通訳付きのニュースを比べるのもナンセンス。「通訳」というのはその頭の中で様々な経路を経ているわけで、質には限界があるんです。前にTwitterで「首相官邸の通訳を批判する人は、自分で字幕を見ながらそのスピードでやってみい」と書いたらいろいろ反応をもらいました。やや乱暴な意見なのですが、要するにそういうことなんです。手話通訳って大変な仕事なんですよね。
だからろう者への情報保障が少なくて良い、とか、少しくらい下手でも我慢せい、文句を言うんじゃ無い、とかそういうことを言いたいわけじゃないんです。だれも手を抜いてやっているわけではないということです。だけどどうしても技術が足りない、じゃあどうすればより質の高い情報保障ができるか、という建設的な議論をして欲しかったんです。(まぁテレビに映らないという大きな問題はあるにせよ)、首相官邸の記者会見にはついた手話通訳。どういう手話通訳だったら良いのか、文字があった方が良いでしょう、もしかしたら2種類の通訳がいたらいいのかもしれません…でもあそこに行き着くまでに国との必死の交渉と理解を求める運動があったことを忘れれてはいけないんですよね。自然に付いたわけじゃないんです。
それを(一般の人ならともかく)手話通訳養成に携わっている人が文句ばかり言う…なら自分で情報保障ができる人を連れてこられるのか?または自分自身の手駒(という言い方はかなり失礼ですが)で情報保障ができるのか…。
話が大分それてしまいました。第一言語が日本語であることがほとんどの手話通訳者。ウメもそうです。その人たちをこれからどうやって増やしていくか、技術面も待遇面も倫理面も含めて、関係者全員が考えていかなければいけない時期に来ていると思います。
乱文失礼しました。
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