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2012年5月22日 (火)

建前と手話通訳(中)

そんな自分から見れば、手話通訳の業界ってどちらかと言えば「建前」の力が強く動いている気がします。どうしてか、と言われるとそう感じるとしかお答え出来ないのですが、表に出てくるコミュニケーションって「建前」が多いですよね、それを扱うからでしょうか。

がしかし、裏では強烈な本音ゾーンがあって、それにやられまくっている人たちが多数…。そこは秘密の花園…いや花園だったらどんなに良いことでしょう…ひとたびそこに足を踏み入れてしまうと…時にはとげが刺さったり、底なし沼にはまってしまったり、そこだけしか見えない集団になったり、でも意外と気持ちよかったり…。

「手話通訳はこうあるべき」ということってたくさんあるかと思うのですが、何というか、それが自然にできる環境ではなく、どこか「やらされている」とか「そうしなきゃ手話通訳で生きていけない」みたいな抑圧感…というか、そんなに大げさなことではないのですが、そういうニュアンスは常に感じます。最近自分自身は気にしなくなってきたのですが(守るべき所はもちろん守ってますよ)。

ろうあ運動も同じなのでしょうか。「ろうあ運動はこうあるべき」。うん、よく聞きます(目にします)。

でもね、今の時代それだけじゃ通用しなくなってきているような気がするんですよね。時代として多様な考え方が許されてきていますし、「目指すところ」だってあいまいに→個人で違ってきているとも言いますか、みんなでゴー!みたいなことって少なくなっているなぁって。それが悪いと言いたいわけじゃありません。むしろ良いことだと思うのですが、何かを変えようとすると大変な時代だなぁって。

話が大きくなっちゃいました。何が言いたかったのかというと、形通り、マニュアル通り、基本通り、文法通り、台本通り、資料通り、じゃなくて、その場で考えて、その場に最も適したコミュニケーションの橋渡しができる手話通訳者が増えたらなぁと思っていますし、自分もそうなりたいと考え続けています。

(続く)

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