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2012年1月26日 (木)

日本手話の主張を批判してみる

今日は目で聴くテレビリアルタイム手話通訳の日。今から阪神電車で大阪に向かいます。

年末からTwitterとかで手話についていろいろ思うことを書いたりしています。いわゆる日本語対応手話とか日本手話とか。

個人的には手話は2つある、日本手話は日本語とは全く別の言語でろう者が自然に習得する…という考え方は理解できません(納得できません、のほうがいいかな)。これは前から言っていることですが、あまりに実態に合っていないと感じるからです。

いわゆるバリバリの日本語対応手話・日本手話をされる方もいらっしゃることは間違いないです。が、毎日会って話しているろう者の手話がどっちなのか、どちらに区別されるのか、そんなことを考えることに意味がないくらい手話は多様です。

もっとぶっちゃけて言えば、いわゆるきれいな日本手話をされる方はその主張をされている方くらい。ほとんどの方はそうではありません。しかも「自然に習得できる」環境で育つろう者なんてほんのごく一部です(その環境を増やしていくことは大事ですが、そうではない人を否定してはいけません)。

いわゆる文法(うなづきとか非手指動作)が当てはまらないことがあったり、多少声が出たり、日本語がまじったり。でもそれが彼らにとってごく自然な状態で、それをどうこう言う権利は他人にはないんです。

日本語とは全く別…でもありません。多分に影響を受けています。日本語がある環境だから日本手話ができたはずです。

だから「手話は一つ」とか「日本手話はない」と言いたいわけではありません。そもそも「手話」って数える対象のものではないと思っていますから。

きれいな日本手話は読み取りしやすいと思います。それは日本語でも同じで、きれいな日本語は聞いていて気持ちいいです。

じゃあ全ての人がきれいな(混じりっけのない・純粋な)日本手話をすればいいのか。それじゃあ個性がなくなってしまいます。

こう書いたりすると「日本手話の文法がわかってない」と怒られそうですね。2年間何を学んできたのか!って。文法を踏まえた上で個性が出ている人、たくさんいるじゃないですか?って。

そうです。

じゃあ彼らに「自分は日本手話を話している」という自覚があるか。

ほとんどの方はないと思います。

悪口を言っているわけではありません。聞こえる人だって、いちいち「今日本語話してるんだー」とは思いません。

何が言いたいか。

今の日本手話に関する主張はまだまだ未整理な項目が多くて、今ある主張はそれが体系的に説明できていないこと、明確な事例が出されていないこと、かつ排他的・優性的であること…つまり現時点は矛盾も多く、広く理解されるには研究や分析が足りない、と言うことです。さらにさもそれがろう者全体の望みであるかのように、今までが悪だったかのように、誘導しようとしています。

さらにあわよくば他の手話を手話じゃない、「手指日本語だ」と。言い方の問題じゃないんです、その姿勢に疑問符がたくさん。使用者が言ってない、嫌がっているのに何でそうなるの?と思ってしまいます。

はっきり言えば「ごり押し」状態です。

「ごり押し」はそれ自体受け入れにくいものですが、だからそれが「ダメ」だとか「ない」とか「覚えなくていい」と言いたい訳じゃないのはお分かりいただけるでしょうか。でも「違うんじゃない?」と言い出しにくい雰囲気は思いっきり漂わせています。まぁ叩かれる叩かれる。なぜ?そうやって議論していくもんじゃないの?

それが本当に良いもので、多くの人に必要とされるのであれば(実際にそうだと思います)、時間はかかるかも知れませんが無理のない手順で理解が広まるでしょう。

何も日本手話に限りませんが、「理解がない」「あいつには説明してもムダ」と言って怒っているようでは発展がありません(これは支援者的手話通訳者にもありがちな発想)。

その怒りから進むには、どうにかして相手に自然に分からせるか、を考えることが重要です。相手はわからないんですし気付きがないんですから、その人が自発的に「なるほど」と思わせるようにしなきゃだめなんです。「そういうものだ!」ではなく。その努力もしないで大きい口をたたくのはどうかと思います。

さらに主張を受け入れられない人、関心がない人を許容する余裕も必要だと思います。もちろん、何でもかんでも許せばいいってもんじゃありません。行政などわかってもらわないといけないところには手を尽くさないといけません。

そうやってろうあ運動や手話通訳制度(いわゆる日本手話ではありませんが)は少しずつ進んできました。それに都合のいいところだけ乗っかろうなんて甘いですし、筋が通りません。今まで頑張ってこられた方からしたら「はぁ!」となるのもわかります。

…そろそろ「手話通訳者のくせに」「第一言語じゃないだろ」「お前はできるのか」と思う方が出てくるかもしれません。じゃあ語るな、と。口(手)を出すな、と。

こうなると道がそれちゃいますね。手話通訳は先生でも偉人でも信者でも機械でも家来でもありません。自分で考える頭を持った人間です。

最後に壮大に余計な一言を。

誤解を恐れずに言うなら。

似たような考えを「ろう文化」に対しても持っています。そういうものがあるのはわかりますが、それは「文化」というよりは「習慣」としか思えません。何でもかんでも「文化」で当てはめないでください。「日本文化」も同じように大事にしてください。

だからと言って…もうあえて書かなくても大丈夫ですね。

と言うわけでスタジオ近くの駅に着きました。携帯から延々40分ほど打っていたのできっと支離滅裂でしょうが、何となく言いたいことは言いました。

こういう奴ですが今後もお付き合いいただける方はよろしくおねがいしますm(_ _)m

今日も頑張って手話通訳してきます。

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手話」カテゴリの記事

コメント

>Connyさん
ありがとうございます。
デフファミリーと一言でいってもいろんな方がいらっしゃいますよね。全体的に「こういう感じになる」という傾向はあるかと思いますが、それを全てに当てはめようとすること、これが押しつけだと思います。
私も弟がろう者ですが、私が手話、弟が音声で話すというパターンですし、それでお互いストレスを感じることはありません。それを他人にとやかく言われる筋合いはありませんし。
自分のペースで、大事なことですね。

>sipadan2003さん
Twitterではお世話になっております。おっしゃる「連続的あるいは離散的」、まさにその通りだと思います。それが全く考えられていないところに大きな疑問をいだいています。
投稿では「日本手話を認めない」と受け取れるかもしれませんが、「日本手話」そのものはろう者にとって大事な言語だと思っていますし、それを尊重しています。「読み取れない」とか「口を付けて」とか死んでも言いません。主張に対しては、これまでが対応手話蔓延の世界だったので、その反動という部分もあるかと思います。
私が日本手話ができているか、対応手話ができているか、そのあたりもきちっと振り返って確認していかなければいけませんね。

>chaaさん
コメントありがとうございます。
主張に賛同され、活躍される方もいらっしゃいますね。ただ、その逆で批判があってもいいかな、と思って今回の記事を書きました。こういう考え方をしている人がいるんだよ、って。なかなか言い出しにくい部分もありますしね。

通りすがりですが、読んでいてほっとしました

私もデフファミリーで、Dプロ創設時にはKさんから誘われたこともあります
が、当時からその考えに抵抗を感じていました
今でこそ社会の様々な意識の変化は彼らの功績もあると感謝もしますが
自分はその考えに賛同はやはりしかねます
「ろう文化」「日本手話」という言葉は、私も用いません
しかし、これからも彼らの研究が社会に影響を及ぼすならば、その活躍は私も応援します
受け売りのようですが(笑) 本当に読んでいてしっくりきました

お考えには合意する部分があります。

日本手話という言語を研究されている方もいらっしゃいますから、彼らのご意見も伺うとよいでしょう。

ろう者と一口に言っても生い立ちが様々ですから、手話の表現方法も両サイドに分かれるという単純なものではなく、連続的あるいは離散的なものになっているのでしょう。ここからが対応手話というふうに線切りするのは簡単ではないでしょう。そのような多様性を受け入れてしかるべきだと思います。

一方で、日本手話という言語を認めてあげることで、ろう者の可能性がもっと広がると考えています。少なくとも対応手話でも、ろう者に対する教育効果に限界があることを認めなければなりません。逆に日本手話だと万全うまくいくかというと、現状ではそうではないと思います。しかしだからこそ日本手話を使うきっかけをもっと増やし、日本手話を取り巻く環境を発展させるよう、みなさんで支援していきたいと考えています。

かくいう私は聾学校育ちですが、日本手話が上手かというとそうではありませんが、日本手話が流暢な通訳者に通訳してもらうと、話を理解しやすいという大きなメリットを感じています。

両サイドのどちらかを批判するのではなく、日本手話ができる環境をもっと増やして、そして、社会交流のきっかけをたくさん作って、お互いに活発な交流ができることを祈っています。

それで個性がなくなるかというとそうではないのですから、その点は杞憂ではないかと思うのです。(日本語圏でも個性はあるわけですから)

初めまして。いつもブログを楽しく読ませて頂いております。
主旨をちゃんとつかめているか、理解していない部分があるかもしれませんが…私が読み取れた限りではすごく共感します。

というのも、私自身はデフファミリーでありながら、ろう学校に通った経験もなく、身近に聞こえない人といえば、家族だけでした。

大学に入ってから、色んな聞こえない人たちと知り合うようになるのですが、デフファミリー=母語は日本手話、流暢な日本手話が扱える、ろう文化を取得しているという目で見られます。

私自身、ある程度、手話は出来ますし、家族との意志疎通は問題ないですが、だからと言って、ろう者が思い描いているほど、日本手話ができるか、といえば、そうではないです。

私もろう文化、日本手話、という足かせにはめられるのは疲れてしまったので、自分から「ろう者」とは言わなくなりましたし、ろう世界の交流範囲も狭くなりました。私のアイデンティティーは相手の判断に任せます、って感じです。

私は足かせに縛られることもなく、自分のペースで生きることにしています。音楽も楽しむし、口話で会話することもある。

手話に限らず、語学はコミュニケーション手段の一環にすぎないと、私は思っています。
世の中には色んな人がいます。
できるコミュニケーション手段が多ければ多いほど、色んな考え方が聞けるメリットがある。
年配のろう者と話をすれば、過去のろう運動の話が聞ける。今の自分が生活しやすくなったのは年配たちの活動があったから、と感謝しなければならない。
では、私はどう生きるべきか、自分で問いかけます。

ただ、人に型に当てはめるようなことだけはしたくないなと思います。人間多様ですから。

長くなりました(笑)

これからの活躍を応援しています。

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