脇はしめない?
カメラで写真撮影をするときに大事なことは、手ぶれ防止のために脇を締めること、ですよね。
さて、それとは逆に手話をするときは脇を締めないで大きく手話をすることは手話学習者にとって大事だと思いますが、いかがですか?ろう者の皆さんにとっては「何をわざわざそんなことを・・・」なんて思うかもしれませんが、脇のしまっている手話学習者が多いこと多いこと。
かく言うウメも、手話動画を撮影しているときや、普通に話をしているときには脇がしまっちゃってます。いや、締めているわけではないのですが、なんというか、自然じゃないなぁと後で思います。特に手話動画は後で振り返ることができるので(あまり振り返っておりませんが)自分のクセがつかみやすいですよね。
手話学習者の多くは、手の先にだけ神経がいって余計な力が入るので脇がしまっちゃうんだと思います。手話って手の先だけでやるものじゃなくて、腕とか、肩とか、上半身の広い範囲を使いますよね、それが自然になかなかできないのでございますよ。
ウメも気がつくと手話の大きさが小さくなってしまって、これって見やすいのかなぁ、見にくいだろうなぁ・・・と思います。気をつけているつもりではいるんですけどね。ほどよく脇を開いて大きくゆったりとした美しい、読みやすい手話をしたいものです。
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通訳している最中は自信があるかないかについて考えるヒマがないかもしれません。なんかのりうつったようだってたまに言われますし。
脇だけではなく、ろう者にとって少しでも見やすい手の形、動きをしたいものですね!
投稿: ウメ | 2008年2月20日 (水) 20時49分
私は手話通訳の時…自信がないもんでツイ、小さくなっちゃうんです。(健聴者が自信の無い発言するとき声が小さくなるのと同じかな?)
以前舞台の時、下から見てた先生からボールが挟めるくらい大きくするようにと教えてくださいました。
でもカメラに向かうときや対象者が1人の時は気にしなくてもいいとも。
自分の反省としては指の隙間をあけて間抜けた手話をしてしまうこと。(見にくい!!)
写真を撮るとき、脇を締めるのだったか開けるのだったかわからなくなり結果、肩をできるだけあげてしまう…。
投稿: 犬 | 2008年2月19日 (火) 22時25分