2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

最近のコメント

サイト内検索
ココログ最強検索 by 暴想

« 手話について改めて考える2 | トップページ | 手話について改めて考える4 »

2006年4月23日 (日)

手話について改めて考える3

そして学校を卒業。めでたく聴覚障害者団体へ就職した。

学校で教わったこと、とても役に立っている。しかし同時にそれだけが全てではないことも強く感じている。

十年ほど前まで見られた、(通訳者レベルの人が)音声を出しながらこんにちは。私の名前は・・・」なんてバリバリの音声対応手話をろう者に向かってする人は少なくなった。かといって、学校の先生のような洗練された日本手話を使うろう者がいるわけではない。地域のろう者は長年の生活の中で身につけてきた生活言語がある。時には日本語の影響を受け、時には地域の影響を受け・・・。

今の職場に入ってからしゃべりながら手話をする機会が本当に増えた。この1ヶ月で学校にいた2年間分以上だろう。自分自身、しゃべりながら手話をすることにとまどっている。自分の思ったことを上手く話せないときもある。声を出していなくても日本語をそのまま手話に置き換えているだけ、そんな時もある。

いわゆる「国リハで教わった手話」をする機会はほとんどない。

教わったことを忘れそうで怖いのだが、働く上でそれが必要とされるのだから仕方がない。いや、仕方がないと言うよりも必要なのだからやるべきなのかもしれない。学校にいた頃より「日本手話」は確実にヘタになっただろう。

周りの聞こえる人たちもしゃべりながら手話をする。それが当たり前の環境で、自分だけ・・・それはおかしい。周りに合わせることも大事。もちろん、そのことでろう者が不利益を被るのなら問題だが。

« 手話について改めて考える2 | トップページ | 手話について改めて考える4 »

手話」カテゴリの記事

コメント

>『この場面ではこれが相応しい』という方法を“空気を読んで”選択するしかないのでしょうねぇ・・・。

まさしくその通りだと思います。ホント。
手話の世界で生きていく場合、
この「空気が読めるか」というのは結構重要ですよね。

(手話に限らず)
『いかなる時もこれでなくてはならない』という方法なんてあるのでしょうか?

『この場面ではこれが相応しい』という方法を“空気を読んで”選択するしかないのでしょうねぇ・・・。
(何事も)

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 手話について改めて考える2 | トップページ | 手話について改めて考える4 »

クリックお願いします


  • にほんブログ村 介護ブログ 手話・点字へ

ウメダス広告

  • 01.おすすめの商品
  • 02.売れ筋の商品
  • 03.ウメダス商品

手話関連ニュース

ウメダスカウンター

  • FC2のカウンターです。
  • ウメダス閲覧中の方
    現在: